溝口健二回顧展で見られなかった。
今回、アテネフランセでたまたま、
「特集・溝口健二と成瀬巳喜男」という上映があった。
何とかかんとか19時にアテネフランセへたどり着く。
この日は、映画作家、西山洋市さんの公演があった関係で
入場が遅れ上映も10分遅れぐらいで始まった。
映画館の中で菓子パンを食べながら見た。
若尾文子が初々しい。
まだ10代後半だろうか?
居候先にいづらくなった若尾は、
芸者の小暮実千代のところに舞妓になりたいと
訪ねてくるところから映画は始まる。
撮影は、宮川一夫である。
宮川さんが若尾文子を撮影したものはそう多くない。
その中でも、本作は、増村保蔵監督の「刺青」と並んだ傑作である。
やっとこの映画を見る事が出来た。
若尾は、舞妓としてお披露目をし、花街で働き出す。
祇園の舞妓の芸者の旦那の何たるかを知る
歳をとって、このような映画を見ると感慨ひとしおである。
結局は巧妙に作られた
高度な愛人バンクシステムといったらいいのだろうか?
二号さんになることによって
舞妓は芸子になり旦那がつく。
旦那の愛人になるということである。
そこには肉体関係が存在する。
昔から続いてきているこのしきたりを
受け容れていくことによって彼らは生活をしていく。
溝口健二の事実を冷徹に見つめる視線がいい。
彼の映画のいいところは事実をまっすぐに見据え、
絵空事としては描かないところである。
その徹底的なリアリストぶりは
美術や衣装の再現に良く現れている。
小暮と若尾は、いつも同じお座敷に行く。
そこでお客さんに見初められるのだが、
彼女たちにも意思がある。
誰でもいいというわけにもいかないし、
でも生きていかなければならない。
そこで葛藤が生まれる。
東京に専務さんと役所の役人さんと旅行に行くシーンがある。
そこで彼女たちは彼らに手篭めにされようとしたところ、
専務の唇を噛んでしまう!
接吻をしようとしたときに若尾が専務の唇を噛んだのだろう。
専務は入院し、
この姉妹に御茶屋さんから仕事の声がかからなくなる。
暫くして、
どうしてもということで思いを寄せる役所のお役人さんが、
小暮と枕をともにすることを求めてくる。
小暮は決意とともに役人さんの居る御茶屋さんのところへ行く。
そうして、また仕事が来るようになり、彼女たちは逞しく生きていく。
若尾もこのあと芸子になるためには
同じ道をたどるだろうという予感を残しつつ。
祇園祭の山鉾が居る、京都の夏の風景とともにこの映画は終わる。
しみじみとした傑作である。
85分という長さがいい。