イングマール・ベルイマン原作。台本=広田敦郎。
スウェーデンの劇作家であり演出家であり映画監督の
イングマール・ベルイマンは、晩年、気難しい作家と言われていた。
朝日新聞の特集記事で彼の住んでいる、フォール島へ行き、
取材を申し込むという企画があったのだが、
結局、彼は取材に応じなかった。
その彼が1973年にTVシリーズとして発表した285分の作品の舞台版である。
TVシリーズは翌年、劇場用映画に再編集されたそうである。
先月見た山内ケンジの「新しい橋」は
この「ある結婚の風景」を一つのモデルにしたという事を聞いた。
演出は鈴木裕美。
休憩の15分を挟んで約3時間の大作である。
が、ちっとも長さを感じさせない。
緊張関係にある会話と状況が続く。
そこに僕たちは惹きこまれてしまう。
今回の舞台では一つの夫婦に焦点を絞って語られる。
そのためにお話がシンプルになりわかりやすい。
村岡希美と天宮良がその夫婦を演じる。
長い長い台詞の応酬。大変な台詞量である。
そして狂言回し的な役割を、鬼頭典子が演じる。
携帯電話をお切りください、では、ただいまから始まります。
といって、鬼頭のインタビューからこの舞台は始まる。
この夫婦へのインタビューから。
その時は良好で、絵に描いたようなおしどり夫婦だった関係が、
ある日突然と崩れていく。
それは、この舞台では突然である。
が、実際の夫婦だと、そんな突然、「好きな人が出来た、
彼女と明日から旅行に行く」と言えるのだろうか?
というか、そんな事を妻に面と向かって言うのかという問題がそもそもある。
言わずに、突然夫が失踪するという選択肢もあるのだと思う。
それは精神性の違いなのか、北欧や欧州では特別なことではないのか?
結局は夫婦が向きあわなければならなくなるのだろうが、
後回しにされるのが僕たちの精神性のような気がする。
しかし、それでは二人舞台にはならないし、
向き合う夫婦の姿はスリリングで興味深いものである。
「ガシャ!」という大きな効果音とともに舞台は暗転
し置かれている家具の配置などが変わりシーンが変わっていく。
菱形状になった簡素な舞台である。
舞台奥はまるで屋根裏部屋のようである。
そこに、この舞台で使われる各シーンの家具が無造作に置かれている。
妻が出て行く夫にすがりつく。
しかし、その関係は徐々に変化していく。
そして彼らは正式に離婚の手続きを取る。
そして数年後のエピローグで終わるのが今回の舞台である。
徐々に彼らを取り巻く周囲の環境などの変化から
二人の関係性が変わっていくのが面白い。
結局、自分というものをきちんと持っていないと
あいまいに揺れてしまう。
そのことは人間の本質的でなかなか変われない
ことであるとも思う。
その弱さや曖昧さを、ベルイマンの戯曲はあからさまにする。
終演後、パンフレットを求めた。
そこに書いてあったベルイマンの略歴年譜を見て、驚いた。
彼自身5回の結婚をしている!
そして、1949年には三度目の妻と、
3ヶ月パリに滞在するというような事実があった。
これはまさにこの「ある結婚の風景」そのままじゃないか!と思った。
パンフレットの中でベルイマンはこのように語っている。
重要なのは、男がいて女がいたときに生じる緊張関係です。
この緊張関係からポジティブなものは生まれますが、
それは極めて悲惨なものでもあります。
(中略)
人間としてお互いを理解する能力が我々には驚くほど欠けており、
男女にかぎらず、すべての人間関係には
原始的で野蛮なものが存在しています。
こうした人間同士の緊張関係を解決することができたなら、
男女の問題もおのずと解決するでしょう。