「顔」の「美醜」をテーマにした舞台を作りたいと
三浦大輔は以前から語っていた。
今回、やっとそれがカタチになった。
僕自身も生まれてから右の目のスミに赤い痣があり、
これは一生消えないだろう。
小学生の頃は「日本地図」などと言われていた。
そのころの地図や地球儀の日本はたいてい赤色だった。
そして僕はその赤い痣と一緒に生きている。
「顔」の美醜だけで人間関係や男女関係、
人間の価値を問うというテーマは考えさせられるし、面白い。
いまや、本多劇場の客席は一杯である。
若者を中心に劇評家の方々がたくさんいらしている。
まずはKさんにお目にかかり、
NさんOさんにトイレの前で出会う。
毎回、スキャンダラスなお話を、
ここまで細部にこだわってやるかと言われるくらい
舞台上でのリアリティを持ちえるのは、
確実に三浦大輔の演出の才能に追うところだろう。
特に台詞の喋り方、間の取り方は天才的とも言える。
本当に観客席から、今、起こっていることを
覗き見しているような状況を作り出す。
それを僕たちは固唾を飲んで見守る。
劇場での共犯関係が成立する。
サイモン・マクバーニーの共犯関係とはまったく違う共犯関係。
その刺激的な舞台は記憶に長く残る。
今回は、大家さんの居る一軒家が下手にある。
二階建てで一階がリビングとなっている。
内田慈は長男の嫁としてここに小姑である妹と夫と
三人で同居している。
義理の妹の部屋は二階にある。
上手には同じく二階建ての建物がある。
こちらは同じ敷地内に建てられたアパートである。
一階にはブサイクな男(古澤裕介)が住んでいる。
この男にはブサイクな彼女がいる(白神美央)。
彼女は時々アパートを訪ねてくる。
アパートの二階には、米村亮太郎が一人で住んでいる。
時々、顔にあばたのある弟と
可愛い彼女(安藤聖)がアパートにやってくる。
大家の妹(=小姑)は、先日合コンの
王様ゲームで顔に火傷を追った。
ライターで顔を焼かれたという。
どんなライターやねん!
とつっこみたくもなるが、
顔を焼かれて跡が残るかもというところがこの舞台の味噌であるので
そのつっこみは、忘れることにする。
彼女のところにライターで火を付けた男と王様だった男が謝罪に来る。
このような感じで舞台は進行していく、
全部で7章から8章になるものそれぞれに
漢字一文字でタイトルがつけられている。
「美」「醜」「性」「業」など。
その意味は深く広い。
そして、今回、三浦の演出は冴えに冴えている。
「ANIMAL」や「夢の城」「恋の渦」などで行われていた
方法論をフルに使っている。
平田オリザの様に同時進行的に4つの部屋でドラマが、
会話が同時進行していく。
4倍手間がかかるだろう。
しかし三浦はその大変なことを難なくやってしまう。
終演後、劇評家のNさんが三浦大輔は
いつのまにか大家になりましたね。と。
本当にそう思う。
しかし、このアバンギャルドな姿勢を保ち続けていくのかどうなのか?
いや違うと思った。
ラストシーンを見て、そんなことを感じたのである。
日々繰り返される日常の中から生まれてくる物語を
三浦はきちんと描ける。
そして、それをきちんと作ることによって
さらなる新しいポツドールが生まれてくるのかも知れないと思った。
聖なるものと邪悪なるもの、生なるものと性なるものは
人間の中には必ず同居しているものだから。
三浦が今後目指していく方向はどこなのか?
本当に楽しみである。
こういった30代前半の優れた劇作家・演出家が出てくるというのも
日本の、東京のアマチュアリズムも包含した演劇界だからこそ
出来ることなのかも知れないと思うのである。
ルールのない多くの多様性の中から
生まれ出るものが、確実にそこにあった。