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第21回東京国際映画祭提携企画として行われた。 WEBで参加を申し込み、全て無料である。 会場では、フランスの発泡水「バドワ」が配られていた。 この催しは、JAPAN国際コンテンツフェスティバルの記念イベントでもある。 1925年製作のサイレント映画「雄呂血」(おろち)に音楽を付けて、 弁士さんに語ってもらおうというのが趣旨。 昭和初期まで映画館で実際に行われていた生演奏と語りを実際に行おう、 という企画イベント。今回のものはスケールが大きい。 作曲はサックス奏者でもある清水靖晃氏が担当。 原宿の駅を出て、明治神宮の原宿口へ。 ここは休日になると路上ライブやゴスロリの若者でごったがえす場所である。 陽が落ちた夜は、表情が一変する。 鬱蒼とした森をバックに白熱電燈の光で照らされている原宿口は荘厳である。 まるでヨーロッパの風景にも似た場所。 いまも、日本の戦前の風景と建物が残っていたら、 いったいどんな感じだったのかと想像する。 原宿口から参道の側道を歩いて奥へ奥へと歩いていく。 7・8分歩いて、ようやく建物が見えてくる。神宮会館である。 ここでは、普段一体どのようなイベントが行われているのだろう?と思う。 かなり大きなホールである。 面白いのは劇場の椅子の前にポケットが付いているのだが、 それがネットで作られていること。 何故かフェンシングの得点台がステージの上に置かれている。 いったい何が?と思って、頂いたパンフレットを見ると、 フェンシングの太田雄貴選手と、目黒友薫選手の名前が書かれていた。 一緒にいったT氏が、「フェンシングって西洋チャンバラ?」と言い。 「ああ、そうか!」と思い至った。 今回のイベントのタイトルが、A NIGHT OF CHAMBARA × ORCHESTRA ということで、彼らが出演することになったのだろうか? フェンシングのマスクは赤と緑の発光体で、どこか近未来を感じさせる。 そして、フェンシングの刀?と言うのだろうか、 棒状のそれが以外に大きいことを知った。 生で見て初めてわかることがあるものだと思った。 そのパフォーマンスの後、オーケストラの楽団員たちと 三味線の方が二人、清水靖晃さんが出てきて、 弁士、坂本頼光の語りで映画「雄呂血」(1925年)が始まる。 バンツマ主演の映画。坂東妻三郎はマキノ映画から独立して 1925年独立プロを設立した。 その第二作目がこの「雄呂血」である。 独立プロを応援する タニマチ的な人が居たのだろうか? 自由に勝手に映画を作っていいというような環境から生まれた映画じゃないのかなあ? と想像した。主人公であるバンツマは、 熱血漢であるが想いが空回りし上手く相手に伝えられない。 そして、誤解が誤解を呼び、どんどんと酷い状況になっていく。 どうしようもない状態のまま、悪い奴らを何とか懲らしめようとするのだが、 その行為自体も空回りに終わり、 御用のお縄にかかってしまうという掬われない話。 これを、この時代に作ったということが驚きだった。 こんなに悲劇的な物語を! そして、主人公の男のあさはかな考えが状況をどんどん悪くする。 何かココロの中にある負の側面が怒りとなって出てきてしまったようでもある。 連合赤軍や旧日本軍にも通じる精神性がここから見てとれる。 コマオトシで撮影されたチャンバラシーンはスピーディでコミカルですらある。 また大捕物のシーンは高いところからクレーンのような移動車での 移動撮影などをしており随所に若々しい工夫が施されていた。 #
by haruharuyama
| 2008-10-27 07:12
| 映画
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お笑いコントライブである。 京都の劇団員が中心となった面々のライブ。 初めての東京公演にして11年ぶりの公演でもあるらしい。 1991年結成。チラシにはこう書かれている。 「虚構を強く作り込む、もてなし芸じゃない笑い」と。 もてなし芸の意味があまりわからないが 関西の吉本興行を中心とした笑いとはあきらかに違う。 この舞台にラーメンズの小林賢太郎が文章を寄せているのをみても、 お笑いのジャンルとしてはそちらの方向に軸足があることがよく分かる。 京都のコント集団なのに関西弁・京都弁が出てくるのは ただ一箇所だけだった。 自分の中に様々な自分が居るというコント。 ある男が酔っ払いにからまれている女子を発見! 自分はそれをみてどうしようか?と考える。そこに、 「天使の自分」と「悪魔の自分」が登場。 しかし天使も悪魔も意見が揺らぐ。 そして、「悩める自分」が登場。 悶々と悩みながら結論が出せずにいると、 最後に、「木屋町のおばちゃんやないのー!」という「おばちゃん」が登場。 「自分、なに言うてんのんなあ!」 「自分のココロの中におばちゃんはおんねんで。」 というシュールな台詞に場内は爆笑。 しかし、この笑える感覚が、文章だと伝わらない。 木屋町のおばちゃんを演じたのはサラリーマンでもある、エディ・B・アッチャマン。 京都でサラリーマンをしながらこの演技。 彼は、クレーム処理の達人だそうである。 彼の演じた、会社でのムードメーカーの話も面白かった。 「彼は会社のムードメーカー、仕事はしない。」というナレーションが効く。 コントのタイトルは、「ポジティブ1」と「ポジティブメドレー」。 観客席に野間口徹さんの姿を見かけたが、 彼の主宰している「親族代表」にも似ているなあとも思った。 他にはMONOの土田英生、水沼健、 コント作家で上京してきたエディと小学校からの同級生である故林広志。 そして犬飼若博が出演している。 #
by haruharuyama
| 2008-10-25 10:57
| 舞台
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人形劇団プークは来年で創立80周年になるそうである。 老舗劇団。 人形劇団がこうやって、長く長く残り続けていけることを嬉しく思う。 そして、長く長く続けられて来た全てのスタッフの方々の情熱を 本当に素晴らしいことだと思った。 演じてやスタッフもいったいいくつなんだろうと思われる方が 現役でバリバリとやられている、と同時に若いスタッフも一緒に活動している。 その全てが現場で行われ完結する。 民間企業にこのようなスタイルが持ちえるのだろうか?と思った。 と、同時にこの環境で続けてこられたことの奇蹟を感じた。 今回は「おとなの時間」と称して大人向けの演目を選び 上演してくれるというもの。 ブルガリア大使館の後援を受けて行われた。 「bプログラム」を見に行く。二部構成からなる。 まずは「動物たちのカーニバル」影絵である。 演者たちの手をつかって様々な動物たちに見立ててのパフォーマンス。 サン・サーンスの「動物の謝肉祭」がテーマになっているらしい。 構成・演出はブルガリアの二コリーナ・ゲオルギエヴァ。 彼女が演出するのでブルガリア大使館の後援がついたのか? また、この作品の初演は何と1968年とある。 40年も前の作品がここで上演される。 いつまでも古くならないものがある、ということを実感する。 今、見ても十分に楽しめるものになっていた。 ちなみにパンフレットによるとプークによるゲオギルエヴァ演出は 1979年が初演となる。 ライティングと影の大きさと動きだけで見せていく影絵の世界は想像力を刺激する。 これは何かな?という図形認識能力が問われる。 15分間の休憩を挟む。 1階のロビーで指人形や手袋人形などが売られている。 キャラクターを用いて物語を新たに作っていくことを考えるだけでわくわくする。 想像力は人間にもともと備わっていた特別な能力であり決してなくならないもの。 その原初的な欲求が刺激される。 第二部は井上ひさしさんの脚本である。 1999年プーク創立70周年記念のときに上演したもの。 モリエールの「守銭奴」を下敷きに、 江戸時代に置き換えた世話物のように翻案されている。 話し言葉も七五調で語呂が良く、聞いていて気持ちがいい。 まるで歌舞伎の世界のようである。 日本には伝統的に文楽という人形を使った劇形式がもともとある。 人形劇はそういう意味でも馴染み深いものであるのだろう。 人形だからこそのデフォルメされた身体表現が笑いを誘う。 これは文楽にはない表現のしかたである。 強いて言うならばギャグマンガかアニメか? そして、そのような表現が、年配のお客さんに受けている。 観客の年齢層は劇団の年齢につながるのかもしれない。 60代―70代の方々が多い。 彼らが小さい頃に見た表現形式に還っていくのかもしれないなとも思った。 この舞台の題名は「金壷親父恋達引」(かなつぼおやじこいのたてひき)という。 戯画化された守銭奴の金左衛門とその息子、娘の恋の物語。 様々な古典文学や歌舞伎や狂言などなどが引用されている。 それをうまく組み合わせてまったく新しいオリジナル 世話物ストーリーを作り出す手腕はたいしたものである。 井上ひさしの才能の豊かさを感じる人形劇だった。 井上ひさしの原点がそこにあるのかもしれない。 「ひょっこりひょうたん島」での井上脚本は国民的であった。 #
by haruharuyama
| 2008-10-25 10:48
| 舞台
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尊敬する人生の先輩であり同時に仕事関係の大先輩でもある Mさんの祖父の展覧会の案内をいただく。三井記念美術館? こんな美術館が三越前にあることを初めて知った。 駅の上に位置するそれは三井住友銀行の本店の七階にある。 荘厳な昭和4年に建てられた建築は関東大震災の 経験をもとにちょっとやそっとではびくともしない建築を ということで当時の平均建築費用の10倍の費用をかけて 建てられたものだそうである。 結局、長く建物が使われているということは コストパフォーマンスがいいということである。 日本橋三井タワーが真横にあり、そこがこの美術館の入口になっている。 マンダリンオリエンタルホテルのある新しい建物は気持ちがいい。 三井本館のエレベーターもロビーもとっても手入れが行き届いており、 年月を経て手入れされた状態で使い続けられているものが いかに人間的に気持ちのいいものであるのかということを感じさせる。 老舗割烹や老舗旅館、そして手入れされた古寺などその中に身を置くだけで 感じられるものがあるというのは不思議な気持ちがする。 森川如春庵はその名を森川勘一郎という愛知県一宮の出身。 彼と三井物産の初代社長益田孝(=益田鈍翁・ますだどんのう)は 39歳も歳が離れているのにもかかわらず茶の湯を通じて 交流が行われていた。この展覧会はその交流の記録とも言える。 特に、茶碗本阿弥光悦作の「時雨」や「乙御前」を 10代で所持した如春庵とはいったいどのような人物だったのだろうか? 高校時代、そんなものにはまったく興味がなかった自分を思い出して、 その差に愕然とする。 年上の教養人と付き合うことでますます如春庵は 自分を磨いていったのだろう。 茶の湯の道具と茶室にかける掛け軸、そして花瓶などが展示されている。 一番気に入ったのは、17世紀桃山時代に作られた、 織部の茶入れ「蛙」というもの。 晩年まで如春庵が実際に愛用していたそれはどこか愛嬌があり、可愛らしい器だった。 いま思うと、このようなものを日常で愛用するという行為自体が 崇高なものであり、その意味が、また茶の湯の精神である 「一期一会」を強く認識させるのである。 #
by haruharuyama
| 2008-10-24 08:46
| アート
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CMディレクターである原賢司さんが、2000年頃に「書」を始めたことを聞いた。 以前、食事をしていた時に、音楽に合わせながら「書」を書くという ライブをやられたとう話を伺った。 今度、東京で同様のイベントをするからということで見に行った。 場所は恵比寿駅の西口を出て目黒方向へ少し入ったところ、ここに大きなタワーのビルが出来ていた。まだ出来たばっかりでテナントの入っていないところが幾つかあった。 ここの地下に、art café Friendsというフリースペースがある。 大きなスクリーンが設置され、50坪くらいのスペースが会場になっていた。 「書」のスペースが大きく真ん中にあり、 そこに黒いパンチカーペットが敷かれ和紙が置かれている。 会場奥のスクリーンの下に数々の楽器が置かれている。 ここで佐藤正治さんの演奏とともに原さんが「書」を書く。 紙が大きいのでダイナミック。近くで見ていたので墨のニオイが漂ってくる。 独特の芳香を放つ。墨は何か五感を刺激するものが その香りの中にあるのだろうか? 原さんの描く文字は「中国古代文字」と言われているものだそうである。 中国の殷の時代のもの。 ライブは原さんの語りを交えながら二時間続いた。 「書」を書いている原さんはまるで運動をしているようだった。 極端に集中されているので額から汗がしたたる。 まさに一期一会だなと思える瞬間に立ち会えた。 #
by haruharuyama
| 2008-10-24 08:33
| アート
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