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Tさんからいただいた無料上映情報を見て、初台へ出かけていった。 舞台芸術の講義でダムタイプの「S/N」の公演のさわりは何度か見ていた。 今回全編の特別上映が無料で見られると聞いて初めてICCホールへ。 ここはNTTが文化的なことを行っているメセナ的なスペースである。 電子技術などを駆使したインタラクティブなアート作品が常設されている。 しかも無料。 電話代からここの運営費がまかなわれているのだろう。 オペラシティの4階にあるこのスペースはかなり気持ちのいいスペースである。 開場の30分前に到着するとすでに10人ほどの若者たちが並んでいた。 20分前に整理券をもらう。 このシアターは定員が27人だそうである。 今回は満席であった。 WOWOWが収録・編集した1995年に行われたもの。 13年前のものとはまったく思えないくらいいまでも光り輝いている。 人間が一生に一回かけがえのないようなものを残す瞬間に 立ち会っているような感動がある。 主宰の古橋悌二の想いがいっぱいに詰まった作品である。 彼はこの1995年AIDSからくる敗血症で急逝する。 彼の精一杯の遺言のようなステージである。 彼は同性愛者で1992年にHIVに感染したことを世間に公表する。 当時の状況は今以上に神経質にHIVに対して、世間が捉えていたように思う。 それだけに、古橋の表現は命を削るような勇気をもたないと、 実行することはできなかっただろう。 この舞台は古橋の魂が震えるほどのメッセージであると思った。 あらゆることを古橋は自分の言葉でさらけだす。 さらけだすに至るまでには様々な葛藤があっただろうし、 それはいまも続いているのだなと映像を見ていて思った。 その悲痛なものの中から出てくる美しいものに対する 慈愛が見ているものの気持ちを捉えて離さないのである。 それは決してスマートなものではないかも知れない、 しかし人間が真剣に愛して一生懸命生きている中に 輝く美しいものが必ずあるというメッセージに満ちている。 そのことが伝わってくる。 最初、耳の聞こえない男性がハイヒールを手に持って 何か叫びながら靴をタップダンスのように鳴らしながら動かしている。 突然、マイクを持った古橋がステージに入ってくる。 「何してんのん?」ととぼけた関西のイントネーションがユーモアを誘う。 彼は耳が聞こえないので上手く喋れない、 それでも何とか古橋にメッセージを伝えようとする。 古橋は観客に向かって彼の言葉を翻訳するように説明する。 彼の服には「DEAF」「HOMOSEXUAL」「MEN」というような 文字の書かれたステッカーが貼られている。 同じく、古橋には「HOMOSEXUAL」「HIV+」「AIDS」などの文字が。 そして黒人のゲイであるピーターにも同じようなステッカーが貼られている。 ピーターがマイクを持って各人のカテゴライズを説明する。 そしてピーターは問いかける。 「HOW ARE YOU?」 暗転して美しくシャープなパフォーマンスが始まる。 カッコいい! 自らのことを問われ、考え続ける事をゆるやかに強制されながら パフォーマンスを見る。 そういったものの前では誰がどのような人であるのか? は関係なく無力であることが示される。 時々、古橋からのメッセージが投影される。 国籍やジェンダーやセクシュアリティや肌の色や そういったものから自由になっていこうという宣言である。 いまや世界はどんどんとフラット化していると言われているのだが、 人間のもっている他の人間に対する先入観や偏見などを フラット化することが出来るのだろうか?と考えた。 「出来るだろうと信じて生きていくのがええのんちゃうん?」 というような古橋の言葉が聞こえてくるようだった。 #
by haruharuyama
| 2008-09-17 08:38
| 舞台
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この本のもっとも素晴らしいところは 本をものすごいスピードで読み進んでいるという感覚を得られるところである。 それは谷山さんの書く文章が非常に読みやすいこと、 論理の展開が明快であること、 さらに文字が大きく行間が広いので1ページあたりの文字数が少ないこと が理由として挙げられる。 従って猛スピードで本を読んでいるという感覚に襲われる。 そのメリットは、自分は頭がよくなったのではないかと認識してしまうこと、 そして全知全能であるかのような自信が漲ってくるところにあるのではないかと思った。 そうして、自分はコピーを書くということの本質を理解できたような気になるのである。 ここには、簡潔に広告とは、広告コピーとは広告コピーを書くとは というエッセンスが詰まっている。 コピーライターの方々からすると当たり前のことなのかも知れないが 本書を読むことによって何となく漠然とイメージしていた コピーの理論みたいなものがわかりやすく伝わってくる。 いつまでも手許に置いておいて原点に立ち戻ろうとするときに パラパラとすることが出来るとっても素敵な本だと思う。 黄色い本というのもいい。「チボー家の人々」は黄色い本として有名である。 漫画家高野文子はその「チボー家の人々」を読む少女を主人公にした 「黄色い本」という漫画を描いた。 印象的な装丁。装丁は水口克夫。 谷山さんは1961年大阪生まれ、 僕は1962年生まれで1968年に鳥取から大阪へ引っ越してきた。 学生時代、大阪のどこかですれ違っていたのかもしれないと 思わず想像してしまった。 冒頭に衝撃的な言葉があった。この一文で僕は魅了された。引用する。 あなたは、いい映画を見てドキドキしたり、いい音楽を聴いてホロッとしたり、 いい小説を読んでジーンとしたりしたときに、 しばしばこういう言葉を発してはいないでしょうか。 「なんかいいよね」「なんかステキだよね」「なんかカッコいいよね」と。 明日から、それをきっぱりとやめにしてほしいのです。 そして、かわりにこう考えてみてください。 「なぜ、いいのか。これこれこうだからじゃないか」 「なぜカッコいいのか。こういう工夫をしたからじゃないのか」と。 こういう思考を働かすことができなければ、 賭けてもいいですが、あなたはけっして「モノのつくり手」になることはできません。 一生、「受け手」のままで終わると思います。 (もちろん、受け手でいることがダメだというわけではありませんが・・・・。) とある。何故、面白かったのかココロを動かされたのかを 論理的に分析し説明できることこそがクリエイティブを 生み出すことにつながるのだということを谷山さんは語る。 その論理性が重要であるということは非常に心強い言葉である。 クリエイティブは感性である。 となったら見もふたもない。 努力しても仕方がないことかもしれない「感性」のみが 勝負の世界ではないんだよということを谷山さんは教えてくれる。 そうして広告の表現というものはその思考を突き詰めることから 生まれてくるという思想に勇気づけられる。 何か、わけのわからない才能があり、 才能がないという言葉だけで片付けられないものが あることが重要なのかもしれない。 それは、長く続けるということにもつながる。 今時の流行の事象を知らないとしても、 広告の目的を共有して生活者が魅力的だと思える論理を 発見することは出来るからである。 それは「考える」ということである。 「考える」ということをおろそかにしていても いいコピーを生むことは出来ない。 そういったものがそこにある。 ただ思うのは「考える」ことを続けていけば それはある「感性」にたどりつくのではないかと 棋士の羽生善治などの言葉を聞いても感じることがある。 それは簡単に分離できないものであるのだろう。 だって人間ですから。 ひとつのものが完全に分離して生きるなんてことが 不可能であることと同じである。 同じことの繰り返しになるが ボディコピーへの金言がある。 「ボディコピーのよしあしは、文章力で決まるものではなく、 対象物への思考の深さで決まる」 また 「広告はふつうの人の知性を期待してもいいが、 ふつうの人の意欲を期待してはいけない」も印象に残った。 谷山さんは、さらに突っ込んで 「カタチだけの納得、ホントウの納得」の項で刺激的な提言をしている。 詳しくは本書を読んでいただきたいのだが、 その評価軸がぶれている現状と谷山さんの想いが 乖離していることがとっても 批評的なものになっていて興味を惹いた。 とにもかくにも広告に携わる全ての人々は面白いと思えること満載。 ホントウの納得がここにあります。 #
by haruharuyama
| 2008-09-17 08:23
| 読書
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Comments(4)
広告代理店・クリエイティブエージェンシーに所属する 12人のホンネと仕事のやり方。という副題がついている。 いままで広告会社関係の営業職にスポットを当てたものでは、 藤岡和賀男という電通マンがいたが、 彼の著作集くらいだったのではないだろうか? ここでいうアカウント職とは、大きな意味での広告に於ける プロジェクトリーダーであり総合的なプロデューサーでもあると思う。 そうして何とかやっていこうとしている、 いろんな会社のアカウントの方々の仕事を垣間見る事ができる 貴重なものである。 以前仕事をしたことがある方もいて、それも興味を惹いた。 面白い言葉がそれぞれのプロフェッショナルな方から出てくる。 例えば、「本質を見抜くチカラを持て」こういったことは 全ての営業職にもいえるのかも知れない。 特に企業とクリエーターの間に入ってプロジェクトを推進していく役割を持つ職種である。 そのプロジェクトリーダーであり総合プロデューサーは 「ぶれない」ことが必要だと多くの方がコメントされていたのが印象に残った。 カナメがぶれると大きく進むべき方向がずれてしまう。 また、同じ意味で御用聞き的な営業の限界についても多くの方が語っていらした。 クライアントの意向を一方的に聞いてくるというだけでなく、 お互い問題を共有しながら対話を通じて問題解決をしていこうとする パートナーであるべきだということは多くの営業マンが語っていたことである。 コミュニケーションの基本のことなのかもしれないが、 そういった基本的なコミュニケーションがきちんとできる環境を作ることこそが 営業マンの根底に必要だという言葉にはおおいに共感した。 あと、クライアントに「いい嘘はついてもいい」が「騙すな」 という言葉も面白かった。 「嘘も方便」で本当に相手のことになるという思想は おこがましいようにも思えたが、 今まで自分の中にそのような発想がまったくなかったので この考え方は新鮮だった。 また、キャラを売り物にするということも大事ではあるが、 いつまでもキャラを売りながら営業していくことの限界を 語られていることも興味を惹いた。 人間はある時点である立場になったときに キャラで売っていくことから方向転換しなければならないということを 語っていらしたのが印象的だった。 シンガタの松田さんの、「知らないことを知っていくことの喜びが今でもある。」ということ。 ワイデン&ケネディの松永さんの、 「W&Kのクリエイティブと働くことで『ブランドを伝えるためには、 ときに目の前のコスト効率を超えた提案が必要である』ことを学んだのです。」 同じ松永さんの「営業は今、自分が起業家精神を持っている事が 一番必要とされていると感じます。」という言葉も印象的だった。 #
by haruharuyama
| 2008-09-14 12:10
| 読書
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筆者の高嶋健夫は1956年生まれ。 早大卒業後、日本経済新聞社に入社。 1999年にフリーランスへ。43歳のときである。 時はバブル崩壊して十年後、軽度の視覚障害になったことと 退職されたことは何か関係があるのだろうか? このTYOについての本を何故、高嶋は書こうと思ったのだろうか? 本書は優れたTYOグループの会社案内として読む事が出来る。 TYOグループに入りたい学生や、TYOに投資しようかと お考えの株主の方に読んでいただくのに こんなにわかりやすい資料はないのでは?と思った。 しかし、本書が発売されたのが2006年の10月である。 あれから約二年でTYOはさらに拡大を続けている。 こういったビジネス書は鮮度が命ということが良く言われるが なるほど、そうである。 ここには書かれていない、会社が増え、それが活躍している。 1ST AVENUEやレモンカンパニー、そして大きなところでは、 円谷プロの買収。CGのルーデンスの買収など。 TYOグループの特徴としてコンテンツ制作会社のグループ というところは一貫している。 それが広告を中心とするもの WEBを中心とするもの キャラクターアニメやCGもの ゲームソフトの開発、 それに必要な撮影機材や特殊撮影の会社、ライト機材の会社、 ポストプロダクションなど。 このグループ全てでコンテンツ制作が全て出来るという点では、 東北新社グループ、電通テック、 などがそれにあたるのだろう。 撮影部まで含めて自社でやりくりすることが出来るグループはそう多くはない。 しかし、そういったグループがいくつかあって、 その競争の中からしのぎを削って新しいコンテンツメーカーに お互いが成長していく関係はある意味、健全な環境であるとも言える。 これが、TYOグループの独占であれば、 業界のガリバーになってしまうのかも知れない。 しかし、コンテンツメーカーたちが共同して お互いに高度な知を共有することによって 日本のプロダクションカンパニーのレベルが上り、 国際競争力を身につけることになればこんなに嬉しいことはない。 そういった刺激を与えてくれるという意味でも、 本書を読むということはいい経験になる。 ものすごい勢いで読んだ。 2時間で読了。 読了後ハーフマラソンを疾走したような心地よい脳の疲労感に襲われた。 勝間和代が本を月に30冊以上読んでいるらしい。 彼女の出演した「情熱大陸」を見て、 ああ、こうやって本を読み続けることから 何か生まれてくるのかも知れないなあと思って、 今年は意識的にビジネス関連の本を読んでいる。 #
by haruharuyama
| 2008-09-13 07:49
| 読書
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「あんぼん」 「ユニーク」な「アイディア」の「提案」のための「脳内経験」 という副題がついている。さすがコピーライター出身のクリエーターである。 この1行で本書の核心は言い表されているのだなと思う。 冒頭からいきなり核心を突いた言葉で語る。 なかなかに厳しい人だろうということも感じられる。 「選ばれない、アイディアは、ないのと同じ」 まさにそうである。特に広告クリエーティブの世界は確実にそのことが言える。 世に出てなんぼのものということを、時々忘れがちになる。 プレゼンを幾つ抱えていたって、世に出なければ、 評価されないし、誰も見てくれない。 しかし、山本氏は、それを解決できる答えがありますよということを この中で論理だって語ってくれる。 情緒を一切排除した論理的な文章は読んでいて気持ちがいい。 そのためには「経験」すること。 「経験」は歳をとると自然と獲得できるというものではない。 ということで若くしても経験豊かになれる方法はたくさんあるし、 歳をとっていても自らの意志で「経験」を獲得しようという 努力をしてこなかった人には厳しい話だが「経験」は存在しない。 では経験とはどうやって獲得するのかという話である。 きちんとしたコミュニケーションを取ることによって経験は獲得される。 そのためには自らの頭で考え自らの言葉で語る事が出来ないと、 きちんとしたコミュニケーションを取ることは出来ないのである。 ものすごく単純なことである。 自分の頭でキチンと考え続けることによって経験は定着する。 多くの経験によって人は想像力が増し、 多くのシチュエーションや様々な人間関係のことを鑑みるようになる。 多くの選択肢を考えることが出来てくると 必然的にその中からの最高の選択肢を選ぶ事が出来やすくなる、 という話法である。 このことを、本書の中で山本さんは様々な言葉や事例を尽くして語られる。 さらに経験には二つある。「実経験」と「擬似経験」である。 「実経験」の本当に凄いところはネガにあるという話は面白い。 大変だったことの実経験の中からどうしたら回避できるのかを考えることによって 広告表現につながるという視線が面白いなあと思った。 「擬似経験」は主体的に経験がしやすいものである。 人生のかなりの部分を擬似経験していると言えるかもしれない。 本を読む、映画や演劇やスポーツを見るということによって自己を投影し、 様々なことを考える。どちらの「経験」も重要なもの。 しかし、そのどちらも「経験」という意味では同じである。 山本さんがこんな風に語っている。 「考えることは経験である。その経験が考えるきっかけになる。」 経験を獲得した後にアウトプットするための方法を語っている。 多くの物事の捉え方を考え、そこから様々な連想を使い 連関させていく中から答えは見つかるというもの。 山本さんはそれを「脳内アングル」と「脳内ツリー」という言い方にまとめている。 これは発想法の本である、広告表現ということを基本にしているが 多くのことに置き換える事ができる考え方。 最後に本書の一部を引用して終わる。 どんな、アイディアでも、選ばれなければならない。 →選ばれなければ、もともとなかったも同じ。 →選ばれないのは、(世間を、人間を、自分を)知らないから。 →知らないのは、経験していないから。 →経験は、意識的に増やせる。 →つまり知ることは、意識的に増やせる。 →経験を意識的に増やして、「経験データベース」とすればいい #
by haruharuyama
| 2008-09-12 07:45
| 読書
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