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「ワタシタチはモノガタリ」作:横山拓也、演出:小山ゆうな(@森ノ宮ピロティホール) 大阪公演最終日にカンゲキ。初めての森ノ宮ピロティホール! 駅から徒歩数分の森ノ宮キューズモールの隣にそのホールはある。 劇場というよりも多目的ホール、演劇以外にも立川談春の独演会なども行われている。 横に広く奥行きもあり横幅は有楽町よみうりホール?新国立中劇場?並み。 そして奥行きはシアターコクーンくらいの大きさ。席数は1030席もあるらしい。 1979年にできて旧名は「大阪市立労働会館」とか。 現在はキョードーが指定管理者として運営を請け負っているらしい。 そういえば、大阪には自らプロデュースして制作する劇場があるのかな?と思った。 本作は東京公演が9月にPARCO劇場で行われており、ものすごく評判がいいことを聞いていた。 しかも横山さんが本を書き、小山ゆうなさんが演出されるという。 そこで描かれていることはとても奥深いところまで本質をえぐる戯曲。 それを小山さんがポップでチャーミングな演出に昇華させている。 横山さんと小山さんのバランスがうまく調和されていて多くの人が楽しめる、 しかも演劇のコアなファンにも深くささる舞台となっている。 今年の演劇界の記憶に残る1本になるのではないか?と想像する。 と言いながら私はこの2年50本にも届かない数の演劇しか見ていないのだが。 キャストも素晴らしい、 江口のりこ 松岡茉優 千葉雄大/入野自由 富山えり子 尾方宣久 橋爪未萠里/ 松尾諭 という豪華なメンバー。 以下、ストーリーに関してネタバレがありますが、 これを読んでから舞台を見てもいいかなと思い記します。(気になる方はカンゲキ後ご覧ください。)
江口さんと松尾さんが同級生(中学時)の設定、中学の時松尾は大阪から引っ越して関東へ! その後、中学の文芸部だった二人は文通を始める、その往復書簡が15年以上続く。 30歳の時に松尾は別の女性(富山)と結婚する。その際に、松尾は江口から受け取った手紙を江口に渡す。 それから10年後、江口は中学時代からの夢だった作家になるという夢を持ち続けており、 ウェブライターをしながら自らの小説を書き続けている。 その夢のためにこの二人の往復書簡を使った携帯小説を書きはじめた。 江口と松尾の関係がフィクションとして再構成されて新たな小説になる。 世間でその小説が評判になる。 松尾は大学を出て小さな出版社で編集の仕事をしている。 ひょんなことから松尾はその携帯小説を知ることとなり、 その携帯小説の作者が江口であることを知る。 そこから話は大きく展開していくのだが…。というような物語。 松岡と千葉はその小説の二人の登場人物に仮託される。小説の二人を演じる松岡と千葉。 二人の動きが大きな舞台でもわかりやすい身体の使い方。 それがファンタジックな感情を増幅させる。 それと現実世界との対比が描かれる。 松岡は有名な女優を現実世界では演じ、 千葉は現代芸術の作家の役を演じる。 俳優さんたちがいくつかの役を同時に演じるところが演劇的。 さらにはプロジェクションマッピングを使った演出がわかりやすく フォローをしてくれ小山さんらしいポップな世界がそこに表出する。 作家に関しての編集者の視線がいつも素敵だ。 創作者に対してレスペクトしながら寄り添っていく姿。 その関係は「なあなあ」ではなくある種の緊張感を持った素直な気持ちを 共有できる関係が見える。 作家として芸術家として本当に大切なことは何か? が松尾と江口の対話から見えてくる。 30歳の松尾の結婚式の時に松尾が江口に 「楽しんで書けよ!」 と言った言葉が重く私の中に残っている。 そして江口が、書いているだけで楽しいという言葉はまさに至言。 私もこうしてこの舞台に関して書いているのが楽しくて仕方がないので 20年近く書き続けているのかもしれない。 本作の作家の横山さんは大阪で活動していて、その後東京に進出された。 決して早咲きの作家ではなく、そんなこともこの物語と重なって見てしまった。 大阪弁に対する感覚がきちんとあるので、関西出身の江口さん松尾さんの関西弁、 さらには横山さんの舞台の常連でもある橋爪さんなどが正しいイントネーションの関西弁を話す。 それと松岡さんや千葉さんがあえて使う変なイントネーションの関西弁との対比が素晴らしかった。 大阪公演ではそのリアリティも大きな賛同を得たのではないか?観客の反応でそれがよくわかった。 カーテンコールも4回にわたり、そして観客がオールスタンディング・オベーション! 関西人のこれでもか?という人懐っこい感じは悪くない。役者冥利に尽きる舞台では? 上演時間休憩入れて2時間半弱!このあと新潟公演がある。 詳細はhttps://stage.parco.jp/program/watamono
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by haruharuyama
| 2024-10-15 10:52
| 舞台
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「知恵の悲しみ」CHITEN(@アンダースロー) 演出:三浦基、音楽:空間現代。作:アレクサンドル・グリボエードフ、翻訳:倉橋健。 俳優の古館寛治さんがSNSで本作を見て「今までに観た地点の中でも私にはかなり上位に入る作品でした。」 と書かれてあって、上演時間と場所を調べてみた。 地点(CHITEN)は2005年に東京から京都へ移転した。 青年団の平田オリザさんも2010年代後半に豊岡に移転された。 私が関西に移転したのは昨年の2023年。 地点はアート系の演劇ファンにはかなり有名な劇団なので東京や神奈川の公演も良く行われていた。 個人的にはかなり難解な公演という印象が2000年代にはあり、 頻繁に足を運ぶ劇団ではなかった。 しかし、古館さんのコメントにつられて行ってみたら何とむちゃむちゃ面白い! 舞台のストーリーと俳優の動きと空間現代の音楽とそして俳優の発声と照明などが一体となって まるで長い長い一つの交響曲を聞いているような気持ちになった。 それに身体が伴われているものを小さな空間で目の当たりにするという衝撃的な演劇体験があった。 こうしたものをたまに見ることが出来るだけで機嫌よく生きていける!と思った。 この劇場は銀閣寺通りにある。バス停はまさに銀閣寺通り。 そこから哲学の道を通って銀閣寺まで歩いて10分。 大阪から阪急電車で河原町駅に降り立った。時間が早いので丸善書店に立ち寄る。 京都の丸善と言えば梶井基次郎の「檸檬」の舞台になった書店。 そして私が学生時代に初めて村上春樹の小説「風の歌を聴け」を買った書店でもある。 当時の店舗は今はなく移転したBALのB1&B2へ行ってみた。 エアコンが効いて涼しく人も少ないビルはとても気持ちがいい。 書店にはたくさんのいすやテーブルが置かれ置いてある本を自由に読むことが出来る。 丸善のカフェもあり早矢仕ライスと書かれたハヤシライス?の香りが漂って来るのも素敵。 こうした場所を作って運営している丸善そして京都の街の懐の深さを感じる。 関西に越してきて1年半近くが経つが、なかなか関西の生活に慣れない。 こうした場所をいくつか発見していき、好きな場所が徐々に増えることで 関西の暮らしに慣れていくのだろうか? 河原町から7番の市バスに乗って銀閣寺通りへ、河原町通りを北へ行き、 今出川通りに入ったら右折し東へ向かう。 京大を過ぎて東山の麓の裾野あたりにバス停がある。 白川通を北へ数十メートル行くと「アンダースロー」の看板が見えてくる。 https://chiten.org/under-throw/ 劇場は地下にある。完全暗転が可能なスペース。 地下を作っているビルなので躯体のコンクリートの柱も巨大である。 地点はこの劇場から歩いて1-2分ほどの場所に2022年から 食堂「タッパウェイ」をオープンしたらしい。 こうしたものを見ていると地点がロシアに対する強い興味があることがよくわかる。 そうしてロシアから公演の依頼が頻繁にあるらしい。 この日の公演は15時から始まった。 チリンチリンと呼び鈴が鳴らされてアナウンスが入る。 ある美意識に貫かれた空間が京都という街ととても相性がいい。 原作のアレクサンドル・グリボエードフという作家がいることをこの日生まれて初めて知ることとなった。 彼が1824年に完成させた戯曲らしい。ロシアの貴族社会を描いている。 ロシアの男チャーツキー(小林洋平)が3年間の放浪を経てフランスから戻って来て 愛するソフィーア(黒澤あすか)を娶ろうとするのだが、実は…。という話。 ロシア革命が起きたのが1917年だからそれより100年近く前のお話。 ロシアの宮廷貴族たちの表層的な生き方が描かれる。 ちなみに、チェーホフが活躍したのは1900年あたりなので、 本作はそれ以前のロシアの貴族が輝いていた時代の話なのではないだろうか? 見ていてなぜか「雅」(みやび)を描き続けている大石静の脚本のNHK大河ドラマ「光る君へ」を思い出してしまった。 雅な貴族の都だった京都で、ロシア貴族の優雅な会話をCHITENスタイルで見る。 独特な振り付けを俳優たちは行いながらセリフを発する。合いの手が時々その間に入る 「あらっ」とか「なるほど」とか言う合いの手。発声の仕方で様々な意味にもとれる。 そして、振付が私見だがまるでアイドルのコンサートのような感じ。 ファンサを行っているアイドルのような。 表層的に役割を演じていて決して本音は外には出さないというようなロシアの 貴族たちの様子が実感として伝わってくるような演出。 この演出は原作の持つ貴族社会のスノッブさやいかがわしさに対する 批評的な視点からくるものなんだろう。 その批評性が今のロシアにはあるのか?というような課題提起が、 三浦さんが折込チラシに書かれた文章に現れる。 折込の三浦さんの最後の言葉 「私はこの上演が日本で出来ることを誇りに思っています」 に集約されている意味を考えた。 俳優のセリフ量が多く、しかも十数人が狭い空間に登場して移動し続ける。 音楽と照明と合いの手の俳優の動き、そしてセリフ。すべての要素がうまくはまらないと ちゃんと舞台が成立出来ないことに挑戦されている。 結果、それがかなり高い完成度になっていることに感動する。 この劇場体験は生でここに立ち会ったものでしか味わえないものではないでしょうか? 閉じられた貴族社会に対して新たな風を入れようとして結果うまくいかない 保守的で表層的な社交の世界を描きながら、 この様子がいろいろな国の現在と接続しているようにも思えてくる。 いまのロシア自体も外の声が素直に聞こえているだろうか? それはイスラエルやパレスチナ、イランや、米国、そしてウクライナなどにも 同じような声が聞こえるのか?が試されている。 こうした世の中が長くは続かないのは歴史が証明している。 三浦基といっしょに長年活動している俳優の安部聡子が舞台で要のような役を行っている。 あるきっかけを彼女が作りそれがまた舞台に新たなリズムを生み出す。 空間現代の奏でた楽曲と舞台での俳優の動きとセリフや合いの手の発声も含めて サウンドデザインされているように音のかたまりが聞こえてくる。 トイレ近くに仕込んであったRODEのマイクが演出として きちんと生かされていることにも感動した。 上演時間、休憩10分を入れて150分。10月6日まで。 #
by haruharuyama
| 2024-09-27 09:43
| 舞台
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「山月記」小菅紘史×中川裕貴 豊岡演劇祭2024(@宝塚市武庫川河川敷大劇場前) 今年の豊岡演劇祭が始まった。コロナの真っただ中だった2020年に始まり5年目を迎えるらしい。 ご縁がかなって昨年は豊岡に見に行くことができた。 今年は宝塚でも公演があると書いてあったので行ってみた。 同じ兵庫県というご縁なのか? 小菅さんの一人芝居。原作は中島敦の「山月記」。 高校の国語の教科書に載っていた。 小菅さんも高校の教科書で読んだと冒頭にお話をされていた。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html 車で中央環状線を宝塚方面へ。駐車場へ停めて夕方の宝塚へ! 武庫川の川幅が広く温泉もあり温泉街の風情と住宅街の風景が混在する。 そして驚いたのは宝塚はタワーマンションがかなり多いということ。 山を後ろに臨んだ郊外の街にこんなにタワマンがあるのか?と独特な印象を持った。 そしてトマムや新潟の六日町あたりのリゾート地にもそういう建物があるな?とも思った。 小林一三が阪急電車を開発しその町おこしのために宝塚歌劇団を創設し、 それが今も続いている。あの手塚治虫先生も宝塚少女歌劇を見て、 それがリボンの騎士につながったということをどこかで聞いたことがある。 宝塚大劇場から武庫川の橋を渡ると宝塚南口駅があることをこの日初めて実感した。 徒歩で行けるとても近い距離に駅がある。 地元密着の阪急電車の歴史とすごさを感じる。 その大劇場前の武庫川河川敷の河原が今回の会場。 しかも入場料は無料。演劇公演なのでマニアックな人たちが50名くらい来ての観劇かな? とイメージしていたのだが。宝塚駅から続々と観客がやって来て 河川敷の階段は観客で埋め尽くされた300人は来ていたのではないか? 武庫川の河畔を夕方から夜にかけて散歩する人がとても多いことが分かった。 観客は堤防に階段状に作られた場所に座って河原を見下ろす形になり 武庫川がその背景にあり川を挟むと大きなマンションやホテルが武庫川に 向かって建っていてその風景が壮観でもある。 武庫川の100メートルくらいの川幅があることでバランスを取っているという珍しい風景。 陽が落ちて夕闇が深くなる。 宝塚大劇場にともされた間接照明が美しい。 この地域はこうした施設があるだけに上品でしゃれた感じがする。 豊岡演劇祭のプロデューサーである松岡大貴さんが会場で私たちに説明や段取りの話をしてくれる。 設営場所にはPAの機材と中川さんが演奏されるチェロの機材とそれを電気的に増幅させるための機材、 さらには、照明機材が設置されている。堤防の上には音響と照明を調整するブースが設置されている。 舞台下手には運動会で設置されているようなテントが設置され楽屋のような感じになっている。 宝塚市のEV(電気自動車)が停まっていてそこから電気を供給するシステム。 またほかの場所にも非常用のバッテリーが設置されている。 照明もLEDが主流となって電気使用量が減ってきており、 ガソリンエンジンの発電機を回してというシステムがこれからますますなくなっていくのだろう。 直流電力の社会がこれから到来するのではないか? 観客が続々と駅からやってくるので松岡P判断で開始を5-10分遅らせるアナウンスが行われた。 そして開演。 小菅さんが地声で語る。山月記の概要を話してくれて、その後本編が始まる。 中島敦の書く漢文調の文体は漢文の素養がない私たちにとってとても難しい。 しかし、本作を見てずいぶんわかりやすい現代語に翻訳してくれていて理解しやすかった。 同時に中川さんのチェロの演奏が始まる。 といってもバッハのチェロ曲や弦楽四重奏の楽曲のイメージとは程遠い 現代音楽ともノイズミュージックとでも言うのだろうか?の世界がそこで奏でられる。 チェロが弦楽器以外の打楽器やパーカッションみたいに使われている。 大友良英のパフォーマンスを見に行った時の感覚を思います。 その時もギターってこうやって演奏してもいいんやと思ったのだが同様の感想を持った。 中島敦の山月記は隋の時代の中国の田舎を舞台にしている。まさに漢文の物語の世界。 中島敦がこれを書いたのが1941年のことらしい。 この年の12月に日米戦争が始まる。戦争へ向かう時代の中で中島敦の頭の中は隋の時代 の中国に染まっていたのではないか?独特のわびしさや孤独を感じるお話。 官僚をしていた優秀な李徴(りちょう)という詩人になりたかった男。 自らが官僚を辞め山奥へ詩人になるために隠遁するのだが その後自らが虎となってしまう。 李朝(虎になった男)の虚栄心や自尊心みたいなものは意味のないものだったのでは? と反省していくというようなお話。 独特な厭世的な世界が描かれている。 「山月記」は日本の国語の教科書で最も多く長年取り上げられていたそうである。 過去の自分を反省するというような道徳観が文部省や教育委員会の方々に 教育的効果があるものとして評価されていたからと書かれていたのを読んだ。 でもこれを見ると本当にそうなのかな?と思う自分がいた。 教育的効果で虎になった自分を憐れんでいるのだろうか? 孤独に生きていくことを中島敦は一つの生き方として提示していたのではないか? 方丈記にも似たその孤独の中にこもって自分を見つめること、を描きたかったのではないか? それこそが芸術家であり芸術の高みを目指すものは虎のようになってしまうのではないか? と思うのだがみなさんはいかがでしょうか?評価はあとからついて来るものもたくさんある。 エンディングの武庫川へ向かってゆっくりと立ち去っていくシーンは印象的。 そして出演の小菅さんも演奏の中川さんも一人で芸術に向き合い続けている姿は まさに孤高の虎の姿なのではないでしょうか? 決して道徳的な物語ではない! その価値観事態がもう崩壊していることを私たちは既定の事実として知っている。 そんなことを考えさせてくれた孤高の舞台だった。 本公演は9月8日には豊岡の木の殿堂芝生広場での上演がある。https://www.kinodendo.jp/about/facilities/ そして、今年も9月末まで豊岡演劇祭は続きます。 https://toyooka-theaterfestival.jp/
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by haruharuyama
| 2024-09-08 08:56
| 舞台
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「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」イキウメ(@ABCホール) 久しぶりのイキウメ。昨年11月に三軒茶屋で、そして6月に今回と同じABCホールで見た。 本作は過去に世田谷パブリックシアターで見ていたことを、これを書いていて思い出した。 https://haruharuy.exblog.jp/11567886/ 2009年のことだった。あれから15年が経ちイキウメのメンバーが出演してのイキウメ版。 ABCホールは入り口前のABCの建物の広場が素晴らしい。 中ノ島を川越しに見て日没後美しく照らされる建物群。 近くに福島の飲み屋街がたくさんある場所と動と静の両方を兼ね備えている独特のロケーション。 小泉八雲のお話をいくつかオムニバスのリレー形式で上演されながら それが最後にはひとつのお話としてつながっていくという構造。 そのつながっていく感じがいい! 以前の公演で作家役として仲村トオルが演じていた役を浜田信也が演じている。 最近はイキウメのメンバーたちが良くテレビドラマに登場しているのを拝見する。 みんな個性的。そこに客演で松岡依都美、生越千晴、平井珠生。 美術が素晴らしい、能舞台を髣髴とさせるような空間。 登場人物が橋かがりから出てくるような演出が施される。 舞台の真ん中には枯山水が置かれており、墓石のようなものと上手には小さな梅の花が植えられてある。 劇場に入るとそれらに目を奪われる。天井から枯山水に砂が落下している、ライトがあてられていて美しい。 その美しい場所で奇ッ怪なお話が紡がれていく。小泉八雲の話に想を取り、 それを現在の事件と絡めていく。ある少女の失踪事件とともに。 現代に生き死にが日常だった時代の感覚がよみがえる。 死者とはどのようなものか? 能楽が始まった時代から死者との対話を私たちは行っている。 その「死」と向き合うことで見えてくること、生と死がひとつながりになっているという 考えがこの物語の根幹にある。 本作は5つの短編で構成されていた。「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」。 この4話目の「お貞の話」あたりから現代とつながっていくのが面白い。 そして今回、私が最も印象に残ったのがGRATEFUL DEADのTシャツのエピソードだった。 前川さんが観客の想像力を信じて舞台を作っているのが素敵。 落語とはまた違う演劇の観客の想像力が俳優の身体と音響効果と美術や照明が一体となって 醸し出される体験はまさに演劇ならでは。 上演時間2時間5分。9月8日まで。 #
by haruharuyama
| 2024-09-07 10:41
| 舞台
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「代数学」壁ノ花団(@扇町ミュージアムキューブ CUBE2) 9月6日14時の公演観劇。満席で補助席が出る。私にとって3か月ぶりの観劇。 見るといつも思うのがやはり定期的にお芝居を見ることで自分の中に何らかの 生きるチカラが湧いてくる感じがあるな!ということ。 劇場まで出かけていき、その中で演劇体験をすることで五感が研ぎ澄まされ 感受性や考えるチカラが生まれてくると感じるのは私だけだろうか? これこそがまさに芸術の効用である。 同じことは映画館で映画を見たり、美術館へ展覧会を見に行ったり、落語や講談を見たり、 簡単なところではドラマをみたり配信の動画を見たりするとか 家で読書をするとかなどにも通底する効用がある。 MONOのメンバーの一人でもある水沼健が作演出をしている「壁ノ花団」は 今年で20周年を迎えるらしい。 私が最初にMONOを見たのはOMS戯曲賞を獲った「その鉄塔に男たちはいる」の受賞記念公演だった。 2001年のことである。 https://haruharuy.exblog.jp/31103909/ あれからコンスタントに拝見させていただいているのか?と思うと感慨深い。 俳優たちも歳を重ねていき、その年輪の深さがある種の独特な味になっていく。 本作もとぼけた中に人生のペーソスみたいなものを感じつつ 戦時中に生きている人たちの姿を想像させてくれる作品である。 こうした表現は演劇にしかできないものでもあるということも同時に見えてくる。 私たちはその独自の体験をするために劇場に行く。 戦時中 国境あるいは最前線の場所で北と西から敵陣が攻めてこないように 監視する場所が舞台となっている。岩をくりぬいた洞窟の中に宿舎があり、 そこで兵士たちが会話を行う。 先日、見た映画「関心領域」をなぜか思い出す。なぜなのか?考えた。 戦時中であるのに戦闘シーンなどがまったくなく、淡々と日常が過ぎていく感じが似ていると思ったのか? そして、その日常の裏に潜む非日常的なものが見え隠れしている構造が似ていると思ったのか? ここに新たに赴任してきた兵士がペロンパーという兵士と会話するところからこの舞台は始まる。 ペロンパーを演じるF.ジャパンさんが素晴らしい。 こういうインパクトのある俳優が淡々とした芝居をすることでリアリティと深みを増す。 コテコテの表現をあえて避けていく品の良さが京都を中心に活躍する劇団の特徴でもある。 CUBE2の劇場は100席入るのだろうか?こじんまりしているのだがその濃密さがすごくいい。 そして完全暗転、新築の劇場だからこその空調のすばらしさなど やはりこれまでの伝説となった扇町の劇場という矜持が保たれている。 しかも、梅田から歩いて行けるという立地の良さ。 この日は町おこしのイベントが劇場前で行われていた。 猥雑でごちゃごちゃしたイメージがぬぐえない大阪にあってこの環境は独特。 この前線基地には責任者である大佐がしばらくいない時期が続いており、 少佐の金替康博がその代わりを務めている。 官僚的な責任を取らないでやっていきたいという 中間管理職の哀しみみたいなものが良く描かれている。 「踊る大捜査線」に出てくるスリーアミーゴスにも似たキャラクターが描かれる。 彼らの何気ない会話が独特のユーモアを醸し出す。決してそのユーモアが前面に出てくることはない。 引き算の美学とでもいうのか?それがこの舞台をとても豊饒なものにしてくれている。 大佐は実は外に愛人が…。みたいなどうしようもない、しかしながら、愛おしい人たちばかりが登場する。 その大佐の婦人役の松原由希子も登場する。ここには怒りというものがない! しょうがないなあ! という落語で言うところの長屋の人たちの会話を聞いているような感覚。 それが緊張感を伴うだろう最前線の基地の中で繰り広げられているという ギャップを描くことで見えてくる面白さがこの舞台では味わえる。 独特の演劇体験です。上演時間80分。9月8日まで。 https://kabenohanadan.com/kabe15
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by haruharuyama
| 2024-09-07 09:27
| 舞台
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