昨年、左目が「緑内障」であると診断された。
人間ドックで「眼圧」が高いから、
精密検査を受けて下さいと言われた。
「眼圧」は眼球に空気をあてて測定する。
一昨年も同じ事を言われたので、
「またか。」と思ったが、眼科に行った。
昨年はついに左目の視野が欠損していることが判明。
実際は右目が欠損を補ったりしてくれるそうなので、
自覚症状がまったくない。
しかしながら、どんどん見えなくなってくると困るので。
目薬を差す治療を、行なっている。
目薬を差す習慣がなかったものだから、
なかなか毎日差すことが出来ずにいた。
今は起きぬけになんとか差すことにしている。
「緑内障」の原因は良くわかっていないようだ。
角膜と水晶体の間に、「房水」というものが流れている。
その流れが弱くなると、眼圧が高くなり「緑内障」になりやすいそうだ。
この病気は30人に一人の割合で起きるらしい。
医師が、病気を告知するときの言い方が、印象的だった。
やや、深刻な感じで、決して笑うことなく、
真面目に真剣に説明し、治療の指針を伝える。
その言い方が、少しばかり「芝居」がかっていた。
いいにくいことを、言うのは誰でもいやなものだろう。
それを敢えて言うために、
何らかの役を演じなければならないのは同じだろう。
ああ、医師も同じ人間なんだなと改めて思う。
最初、言われたときは、その言われ方とともに、
「失明するのか?」という不安などが瞬間的に頭をよぎる。
しかし、最善の方法で、
早期治療をするという選択股しか存在しない。
僕は、処方箋をもらって、薬局に行く。
「そうだ、これもありのままの自分なんだ。
静かに治療を続け、病気である自分を受け容れよう。」
と思うまでに何時間か、かかった。
そして受け容れることによって、
ココロが平穏で静かな気持ちでいられる自分を感じた。