毎年、この時期になると開催される。東京芸術見本市。
通称TPAM(Tokyo Performing Arts Market)参加公演。
国内外からおおくの公共劇場やフリーのアートプロデューサーがやってきて
何か演劇フェスティバルなどに参加してくれるようなパフォーマンス集団はないか?
と探しにくるイベントでもある。
京都在住のパフォーミング集団の東京公演。
初めての東京での公演?
Choriは裏千家16代家元・千宗室の長男。詩人として活動を続けている。
童司は、京都在住の大蔵流、茂山家の狂言師。
1983年と84年に生まれた彼らはまだ20代半ば。
何か新しいことを始めてみたいということでこの活動が始まった。
結成は2006年。
先日、見た京都公演とは趣がまたガラリと変わった印象。
恵比寿から歩いて南東へ坂を登っていく。
恵比寿南1丁目の交差点を入っていくと
CASSINAなどのイタリア家具を扱っている会社のビルが見えてくる。
その洒落たビルの地下に、こじんまりとした素敵なスペースがある。
昨年秋の、京都公演では、旧い明治の銀行を改装したスペースでの公演だった。
今回はまたうって変わって、現代的なイタリアンデザインのスペース。
プロデューサーのミホさんがイタリアに長くいらしたご縁なのか?
すり鉢状になったホールで舞台を見下ろす。
今回は小さな六つのパフォーマンスが行われた。
すべて「食」をテーマにしている。
一人狂言
「独り松茸」。
面白かったのが流れる曲がまるで無声映画の伴奏のようである。
キートンやマルクス兄弟のスラップスティックコメディを見ているような気になる。
そしてChoriのポエトリーリーディング
「桃の缶詰」
風邪をひいたときに感じる思いや幻想が一体になった詩を
発声の強弱を交えながら語る。
音楽が流れまるでHIP HOPのようにも聞こえてくる。
拍子をつけて語るのが耳に心地よい。
そして、Choriと童司が一緒に行うパフォーマンスが始まる。
「ねぎ」
はChoriの読み上げる詩に童司があてぶりをする。
これも弁士がいる無声映画をみているようで面白い。
包丁が足元数センチ脇に落ちるシーンは笑った。
「蛸」
では童司が能の「面」をつけて、食われるタコの気持ちになって舞い踊る。
その、あほらしさが現代的でいい。
そして今回の公演で一番好きだったのが
「夜の牛丼屋」
江戸時代の武士(浪人)だろう人が現在の牛丼屋でアルバイトをするというお話。
浪人=フリーターには笑った。まるで創作落語のようでもある。
Choriの緩急をつけた語りと童司が着物を着て脇差を差し、
牛丼屋でアルバイトする姿が哀しくも可笑しい。
まるで映画、「シザーハンズ」や「エレファントマン」などを
見たときのような悲しみがここにある。
普通でないことによる、マイノリティの持つ悲しみは普遍である。
それを笑いに転化することによって表現が深くなる。
深化している二人の姿が目に焼きつく。
そして、最後に
「ストロベリーショートケイクス」
これは疾走感がいい。
Choriの語りによって疾走感が加速し、
童司の舞によって疾走感がまるでハイスピードカメラで撮影された
スローモーションの映像のようにも見えてくる。
すり足をする童司は上半身がまったく上下しない。
その身体の強さは幼少のころからの身体訓練の賜物だろう。
その童司が、「伝統を現代へ!」
と、そして、
「現代の人が見て楽しいと思えるものをやりたい!」
と終演後熱く語っていた。
まさに、その可能性が大きく開けた公演となった。