楽劇「ニーベルングの指輪」序章。
ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーが作曲・台本を書いた
「ニーベルングの指輪」4部作の第1部。
このシリーズは「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」と続く。
壮大な叙事詩。
今回、たまたま先輩のMさんのご厚意で見に行くことができました。
本当にありがとうございました。
やはりオペラを見に来られる方はクラスが違うという印象を受ける。
いつもの小劇場演劇とはまったく異なる華やかな世界。
新国立劇場の周囲を黒塗りの社用車が取り囲んでいる。
と、同時に、
Z席に観客は早朝から並び、34席の争奪戦を行う。
天井桟敷の人々である。
しかし、毎年この当日券の席は取りづらくなっている。
オペラは、それを実際に体験すると、本当にそれだけの価値があると思う。
やわらかなフルオーケストラの音に包まれる。
耳と身体にここちよい音が聞こえてくるだけでも至福である。
このような体験はこういったホールに行かないと感じられないものなのだろう。
オーチャードホールやサントリーホールなどでも同じようなことを感じた。
CDなどで聴くクラシック音楽とは全く別物であると思う。
自宅のダイアトーンのスピーカーをいい加減に配置して聴いているのに
最初から無理があるのかもしれない。
このニーベルングの指輪は北欧の神話などを下敷きにしたものだそうである。
あらすじを読んでいると神話的な不思議なお話が次々と出てくる。
ラインの黄金では「ラインの黄金」を「指輪」にして、
その指輪を神族、小人や巨人たちが奪い合い、
そのために殺し合うというものが基幹のストーリーとして流れている。
まるで現在の、これまでの人類の戦争の歴史のようである。
限られたものを奪い合うために戦争が起こる。
オバマ氏はイラクから撤退を決めた。
石油利権のためだと言われていたものを止め、
自然エネルギーへと大きく舵を切って実行する姿がすごい。
自分と同い年の大統領というのが信じられない。
いったい自分は何をしてきたのか?と自問する。
と同時にオバマ氏はアフガニスタンへは増派するという。・・・。
このオペラは“トーキョー・リング”として作られたものだそうである。
初演は2001年から2004年にかけて1部を1年かけて作っている。
演出はキース・ウォーナー。
彼は神話的世界を現代の世界、いや近未来の世界に置き換える。
衣装は現代的であり美術は現代アートである。
ドイツ演劇などでシェイクスピア劇をこのように現代的に翻案する例があるが、
そのような潮流のひとつなのだろうか?
通常の古色蒼然として勇壮で豪華絢爛なオペラのイメージとは
まったく違う演出は見ていてわくわくする。
ここでモチーフとなっている数式のようなものと
指輪の形にもなったジグソーパズルの1ピースについて考えてみる。
数式には科学者の考える好奇心の「業」のようなものを感じる。
人類が進化する過程において好奇心が科学を推進させるのだが、
そこには人間の尊厳を上回る推進力があるという意味での「業」である。
科学の前には人間の命はひざまづくというような意味であるのかも知れない。
と思った。
また、ジグソーパズルの1ピースが黄金の指輪であるというモチーフも面白い。
その1ピースを得ることによってパズルは完成し世界は完全なものになるのか?
という問いかけがここでなされているように思えてならなかった。
完全に向かうものを1ピースだけ所有するために争い続けていても、
いつまで経っても完全なものにならないのだという逆説がそこに含まれている。
そして、その所有を共有のものにすることによって
はじめて世界は完成し開かれたものになるのである、という
キース・ウォーナーのメッセージではないのか?
ラストシーンが圧巻である。
美しい現代美術をやわらかな音に包まれながら見る。
そんな感覚だった。