ものすごいエンディングを迎えるこの舞台は突然の訪問から始まる。
この出来事は事実なのか男の妄想なのか?
ドイツの劇作家ローランド・シンメルフェニヒの戯曲を、
ペンギンプルペイルパイルズの倉持裕が演出をする。
倉持裕、初の新国立劇場進出?
倉持の持つ独特の不思議な感覚が小劇場に充満する。
キャストも豪華。
ある家族のもとに、昔の女が訪ねてくるというストーリーである。
男は松重豊、その妻は七瀬なつみ、
そこに西田尚美が「昔の女」として訪ねてくる。
時間が自由に変化する。
テキストにそのように書かれているのだろう。
あるシーンが始まり。その10分前、3時間後、20分前などというように
暗転とともにアナウンスが流れそのシーンからの時間差が告げられ
俳優は時間を超えて演技をすることになる。
ある大きな一つの流れが俳優の中に出来ているのだろう。
それだからこそ、時間を分断されて再構築されても
十分に演技に説得力がもちえて面白い。
何分後や何時間前はそうだったんだろうなあという説得力を持ちえるのである。
ポツドールの三浦大輔も時々行う手法である。
先日の「愛の渦」でもこの時間の分断が効果的に使われていた。
西田尚美が突然男の部屋を訪ねてくる。
最初、彼女とわからないくらいお姫さんメイクで
パッチリとつけまつげとマスカラ、アイシャドウ、チークなどが施されていた。
ある種、チャーミングでかわいい。
そのことがあとになって恐ろしさとのギャップを増幅させる。
舞台は松重と七瀬のアパートの一室である。
二人は19年前(記憶が定かでないが多分?)に結婚してここに住み始め息子を育てた。
19年ぶりに引っ越しをしようとしているその時に西田が現れた。
部屋は段ボールだけが置かれている。
まさに明日で最後の日となる時であった。
彼女との思い出と妻との思い出が交錯する男は頭の中で、
24年前の昔の女との体験がフラッシュバックしたのだろう。
そのとき何が起こったのかは明らかにされない。
女の復讐がここから始まっていたのだろうか?
愛が憎しみにかわる。
その理由も明らかにされない。
しかし、女の憎しみはとどまることを知らない。
憎しみつづけるとは自らをも傷つけ続けるということだと思う。
しかし、それは決して中断されず、そうして、すべてが崩壊していく。
それを息子の彼女である、ちすんは瞬きもせずに見つめ続ける。
女の執念のようなものがここからあぶりだされる。
衝撃的な後味を残して舞台は終わる。
それを経験したいひとは是非、劇場へ。
演劇でないと表現できないような空気の恐ろしさが舞台から漂ってくる。
3月22日まで。
この戯曲は2004年にウィーンで初演が行われた。