宮藤官九郎脚本・監督作品。
「真夜中の弥二さん喜多さん」に続く、工藤官九郎監督=くど監の第二作である。
今回は原作ものではなく宮藤官九郎のカラーが全面に出ているものとなった。
仙台出身の工藤官九郎は日大芸術学部に入るが、大学生活に失望し、
大人計画の門戸を叩く、そこで松尾スズキと出会い、
10年以上過ぎてその才能を開花させる。
TBSで磯山晶プロデューサーと出会い
「木更津キャッツアイ」を初めそうそうたる作品を量産する。
同時に「GO」などを初めとした日本映画の脚本を手掛ける。
原作をうまく脚本家するという職人的な上手さをも同時に持つ。
しかしながらいまだに彼のよって立つところはライブであり舞台である。
その証拠に、ウーマンリブの公演は毎年のように行われ、
バンド「グループ魂」の公演も行われている。
ライブでしか出来ないことを知っている人から生まれた
伝説のパンクバンド「少年メリケンサック」の映画が完成した。
ここには工藤官九郎の個人的なエッセンスが詰め込まれている。
宮﨑あおい主演。いつ撮影されたのだろう?
篤姫が始まる前に撮影されたんだろうか?
篤姫とは間逆のキャラクターが爆発している。
彼女はレコード会社の契約社員。
業績が芳しくなく彼女が発掘してきた新人はことごとく駄目で、
契約満了の最終日にU-TUBEにアップされていた「少年メリケンサック」のライブ映像を見て、
社長に直訴する。
ユースケ・サンタマリア演じる社長は実は元パンクロッカー。
宮﨑あおいは契約延長を告げられ、「少年メリケンサック」復活のミッションを得て
彼らにコンタクトを散るのだった。
細かい描写がいちいちおかしくてわらけてくる。
工藤官九郎はKERAとともに僕の中の変な笑いのスイッチをいつも押してくれる。
馬鹿馬鹿しいドラマにドライブがかかっていく。
「なんじゃこりゃあああ!」というヤンキー言葉が工藤脚本に活気を与える。
佐藤浩一が50歳過ぎの元パンクロッカーを演じる。
人間のだめなところを全部さらけだしながら、宮﨑あおいに向かっていく。
宮﨑あおいはそれを職業意識から受け入れていく。
その関係はもともと無理無理なもの。
だからある時点でその関係性が破綻を迎える。
そこから宮﨑あおいは彼らと魂をむき出しにして向かい合う。
工藤官九郎はバカップルを描くのが上手い。
今回も宮﨑あおいと同棲しているフリーター
(「牛丼屋」でバイトしながらミュージシャンを目指している男。)とのバカップルぶりがいい。
お互い、デレデレとしている風情が本当におかしい。
馬鹿じゃないのと思うのだが、宮﨑あおいがそこにいることで許せてしまえる。
バカップルなんてそのような精神構造なのかもしれない。
しかし、その関係に依存がある限り、関係性は破綻する。
きちんと向き合っていないものはいずれ崩壊する。
砂の城のようなものである。
この映画は、様々な関係性においてそれを描き続けている。
とにかく、「少年メリケンサック」は10万ページヴューを超え、全国ライブへと向かっていく。
名古屋、広島、そして工藤官九郎の生まれ故郷である仙台での様子とともに
彼らのだめぶりと成長ぶりが同時に描かれる。
田口トモロウのお馬鹿な役がおいしい。
そして、彼らは突っ走り、宮﨑あおいは人生をかけて走り抜けていく。
エンディングの顛末は工藤官九郎の思いが込められているのだろうか?
そうではないのだろうか?
音楽とライブを愛する者が描いた、おバカな映画は
本当に、愛すべきおバカ映画となった。