夕刊フジ創刊40周年記念公演だそうである。
ブラザーが特別協賛をしている。
BrotherのFAX・電話・スキャナー・コピーの複合機を家でも使っている。
MYMIOとか言うブランド名。
前座、鯉斗の「転失気」。
この言葉は何なのか?という話から拡がっていくもの。
三人会の二番目に桃太郎が登場。
ここでダジャレ満載の「弥次郎」を披露。
この昔昔亭桃太郎という方は、最近、高田文夫が面白いと言って目を付け、
そして人気がじわじわと広がっている噺家だそうである。
なるほど、独特の味わいがある。
とぼけた味わいからくるおかしみは誰にも真似が出来ないような気もした。
後で三浦一派の方々にお話を伺うと
落語は決してうまくないそう。
30年間落語を真剣にやらずに来たら独特の味が出てきたという
なるで古カビのついた旨みが強いカツオブシのようである。
本人の生きざまが落語である。
淡々とゆっくりとカツゼツ悪く落語を進めていく様に不思議な気持ちになった。
仲トリで談春。「白井権八(鈴が森)」をやる。
神奈川の宿から急いで鈴が森へ渡るとそこで雲助たちと出会い・・・。
めった斬りにするという話。
カッコイイ!談春の十八番だそうである。
もともとこの話は浄瑠璃や歌舞伎にもある有名な話だそうである。
これを聞いていて、談春は、いい意味でやくざのきっぷをもっている男だなと思った。
男同志の確執や、潔さが本人自身から溢れ出る。
その談春がまさにはまり役となる噺だなと思った。
上演途中、カメラで盗撮しようとしているお客さんに向かって、談春がひと言!
その言い方がこの噺を語っているときだけに、ドスの聞いた力強いものになった。
語りの緩急が現在的で気持ちいい、まさに素晴らしい音楽を聴いているような心持になる。
仲入りのあと三人のトークショー。
落語界のことについて色々と語る。
特に、桃太郎が噺のマクラでも語っていた、
落語芸術家協会のレベルの低さについてはっきりと語られていた。
落語協会に所属する喬太郎と、落語協会を脱会し
立川流にいる談春は何と言っていいかわからず黙って聞いていた。
自虐的な話を桃太郎は淡々と語り、その自虐さが
けっして卑屈さにならないところが桃太郎の面白いところだなと思った。
トークショーが終わると時計は21時を回っていた。
終演時間が過ぎてから喬太郎がトリを務めることとなる。
マクラもそこそこに「死神」。
面白い!最後のシーンはあんなんだっけ?と思いながら終わる。
ああいう終わり方もあるだろうなあと思う。
人間の運命というのはあらがえないものである、
というある種の仏教的な諦観がこの噺から見えてくる。
生き死にを語る噺なので深く考えていくと哲学的な考察に至る。
そんなことを思いながら10時近く前になって終演となった。
大変ありがたい一夜でした。