京都のある種の劇団には、独特の個性がある。
地点(三浦基主宰)、マレビトの会(松田正隆主宰)、
そして水沼健の壁の花団。
アカデミックというのか芸術性が高いというのか?
とにかく見る人を選ぶ演劇というようなイメージ。
行われていることが実験的で、必ずしもストーリーに沿ったものではない。
しかし、これらの舞台を見ると何か印象がずーっと残り
その印象が消えないで残る。
ストーリーとしての印象でなく、そこで俳優たちが声を出し何かを行っている。
そこに居合わせたという経験が残るのである。
そんな演劇があってもいいと再確認した。
今回もあるイメージの集積が舞台に充満していた。
水沼が折り込みに書いていたのは、
ベルリン郊外のザクセンハウゼンという旧収容所に行ったことが
元になっているということになっているらしいということ。
なるほど、女1(亀井妙子)の姿は強制収容所に連行されるユダヤ人のようである。
彼女は自らの革のトランクを探している。
舞台上にはたくさんの革のトランクが散乱している。
このトランクひとつだけでユダヤ人たちは強制収容所にやってくる。
それ以外の男1(F.ジャパン),2(金替康博)そして女2(内田淳子)の存在とは?
彼らの存在の良くわからなさがこの舞台をさらに奇妙なものにする。
女1は、収容所から解放されたのか?これから故郷に戻って
教育、教育、教育をやらないといけないと言っていた。
ときどき先生をテーマにした映画の1シーンを思わせるセリフが聞こえてきたり、
先生をテーマにした音楽が流れたりする。
しかし、話はそこに集約されるのではなく、
どんどんと様々な方向に飛んで行く。
そして、思った。この舞台は耳で聴く舞台でもあるのだなと。
男たちの声が印象に残る、そして女2の声がさらに印象に残る。
音圧や喋り方音量などを含めて演出的にコントロールされている。
これは音楽を奏でているのと同じことが行われているのかもしれない。
能楽は筋を追うものではなく、邦楽を聴くものであると、
以前、伝統芸能の講座で先生に伺ったことがあるが、
これはまさにそんな感じであろう。
その奇妙な音楽を聴いたような体験が残るというような演劇である。
これ以上は是非、体験してみてください。31日まで。
内田淳子は動かないでいられる才能がある女優でもあると感じた。
あの身体の強さは、どこから来るのだろうか?