副題に―「すべり台社会」からの脱出とある。
本書は2008年の4月に出版された。
この年の秋、リーマンショックから世界的な大不況になる。
日本でも「派遣切り」ということばがまるで普通名詞のように使われる日々が続き、
回復の兆しはない。
年末から年始にかけて日比谷公園で年越し派遣村というのが設置されたのは
記憶に新しいだろう。
その村長を務めたNPO法人、自立生活サポートセンター・もやい、の事務局長、
湯浅誠が書いたのが本書である。
彼はまた、反貧困ネットワーク事務局の事務局長も兼任している。
なぜ、貧困がいけないのか?ということを詳細に論理的に説明している。
アマルティア・センという経済学者の文章が引用されている。
彼の貧困論は選択できる自由の問題と深くかかわっている。
「貧困は単に所得の低さというよりも、
基本的な潜在能力が奪われた状態とみられなければならない」
(『自由と経済開発』@日本経済新聞社)
と書いている。
そうか、貧困とは自由が奪われる状態になることなのか?
と思う。
生きていくための選択肢がなくなりさらに貧困への道を突き進んでいくことになる。
だからこそ、貧困は良くない、なくさなければならないという主張が、
実際に起きている事実とともに記述されている。
論旨は論理的で明快。
文学的な文章ではないが。事実を淡々と記述している文章に説得力がある。
本書は第8回大仏次郎論壇賞を受賞した。
また第14回平和・協同ジャーナリスト基金大賞とのW受賞!と本の帯に書かれている。
貧困に陥っても再生できるためには「溜め」が必要だと湯浅氏は説く。
バッファーとでもいえばいいのか、ある程度の余裕や貯えがないと、
もう一度「がんばろう」と思っても現実が立ちはだかり「がんばれない」。
その「溜め」を作ってあげる努力を行政がきちんと見てあげて
手伝ってあげないといけないと湯浅氏は述べている。
「溜め」がない社会はいったん貧困に向かっていくと
それは一方通行であり戻ることが出来ないものになってしまう。
まるで特攻隊の片道分しか燃料の入っていない飛行機に乗るようなもの。
いったん落ちて行くととことんまですべりおちてしまう。
そこを守るためのセーフティネットが機能しない、
ニートという言葉が普通になり、もはや過去の言葉のようになり
ネットカフェ難民という言葉が出来、最終的にはホームレスとなり、
路上生活者が生まれる。
路上生活者は、実際ほんの一部(本書では数パーセントと書かれていた。)で、
それに近い暮らしを余儀なくされている貧困層がたくさんいるというのが事実である。
そして、法律家たちが動き始めた。
行政とたたかう法律家たち。
2006年の日本弁護士連合会の人権擁護大会で
生存権の保障問題について取り上げられ、
今後弁護士たちがこの問題に対して
積極的に取り組んでいこうという方針が決定されたそうである。
本当に強い社会をつくっていけば
貧困はもっともっと改善されるのではないかと語られている。