ゴールデン街に行く前に、花園神社にお参りする。
夕方の神社は閑散としている。
その静かな場所と喧噪の歓楽街、歌舞伎町の間に
ひっそりと二階建ての木造モルタル小屋が密集している場所がある。
そこが新宿のゴールデン街。
都電が走っていた線路跡が遊歩道になっている。
曲がりくねった遊歩道。
都電もある土地の事情を縫って路線が作られていったのだろう。
戦後すぐのごたごたからもう60年以上が経つ。
新聞に書いてあった。
ついに戦後生まれが75%を超えたそうである。
今回の舞台はその戦後も戦後、戦争を全く知らない世代の、ある世代を語った物語。
作・演出の喜安浩平は1975年生まれ。現在、34歳?
彼が生まれてから経験してきたことが時代背景も含めて描かれている。
舞台は1975年から80年代の「夜のヒットスタジオ」や「夕焼けにゃんにゃん」、
バブル経済に浮かれ、そしてバブル崩壊し、所得格差が拡がり、今に至るということが描かれる。
女三世代の物語が1時間40分に凝縮されているのが面白い。
また演出的に興味深かったのが、登場人物の歳が変わるごとに、
演じる俳優がどんどんと変化していくところ。
演劇を見慣れていない人は最初戸惑うかもしれないが、
その約束事を理解すると、観客はその現場で一緒に考え想像しながら
舞台を見続けることになるのでとっても面白い。
マサオと名付けられた1975年生まれの女の子の物語からこの舞台は始まる。
最も惹かれたのが、「おにゃんこ」のような
フジテレビで夕方に行われていたバラエティ番組の制作現場での話。
表層的で軽いテレビの業界、芸能界のことがシニカルに描かれる。
欲望が渦巻く世界とでも言えばいいのだろうか?
喜安の描く、この「毒」がブルドッキングヘッドロックの素晴らしい持ち味である。
番組プロデューサーがアイドルの四人組の女性たちについて、
それぞれに揶揄するシーンが秀逸。
実際のあなたは!
とつきつけられる。
局の人間と、彼らからすればどうでもいいような
出演者との関係が階級格差とともに描かれる。
彼女たちは、番組で表層的なものを求められながらも、
そこで生きていかなければならないという事実を知りながらアイドルをしている。
多くの人間は、そうして生きていかなければならないということを知っている。
それをつきつけられる。
悲しくなり、むなしくなる。でも生きていく。
女々しいかもしれないが、そうして歳をとり、たくましくなっていく。
生まれてきた子供たちも結局、同じようにして生きていく。
この舞台では
「わたし、意気地がないから。」
という言葉が世代を超えて語られる。
この女の生きざまがここにあらわれている。
印象的なセリフとなった。
女優陣たちが個性的で面白い。