前川知大は今年、演劇界で、引っ張りだこの状況が続いている。
先週まで、紀伊国屋ホールで上演されていたバンダラコンチャへの脚本提供。
7月にはシアタートラムで小泉八雲の舞台の作・演出。
そして8月にはついにパルコ劇場への進出である。
昨年からの前川の活躍は凄まじく、質の高い作品を作り続けていた。
その結果が今年になって出てきたということなのだろう。
前川作品で最初に見たのが「散歩した侵略者」だった。
これは、後に単行本化された。
本作はイキウメの初期に上演された戯曲の再演だそうである。
前川の描く世界は独特のファンタジックな世界。
近未来であったり、特殊な能力の人などが出てきたりする。
日常に潜む日常ではないものを信じ、そのことを描ききる。
描ききることによって前川の頭の中の世界が現実とリンクする。
そこから描き出されるのは人間の恐怖心だったり、対人への信頼だったりする。
もっとも不確定なものとして人間関係がある。
その瞬間瞬間によって人間関係は変わり、
関係を安定的に持続的に継続していくことは大変難しいということを突き付けられる。
そのあやふやさを「信じる」という言葉とともに前川は描こうとする。
見ていて、思った。
新興宗教などはこのようにして生まれてくるのではないだろうか?
人間の言葉では説明できないものを信じることによって、
新たなステージへと向かっていく。
それは自らの存在が不確定だからこそ起こることであり、
現在の若者たちは多かれ少なかれそのような傾向を持っている。
今回は、「神」という概念が「ドミノ」という言葉に置き換えられて語られる。
抽象度の高い舞台なので、この話に乗れるかどうかで
この舞台の評価は大きく分かれてくることだろう。
「ドミノ」は全能である。
「ドミノ」が念じると外部に変化が起こる。
それはどのように起きるのか?そしていったい、ドミノとは誰なのか?
ということがまるでミステリー小説を読んでいるような感覚で、探究される。
ドミノ倒しの「ドミノ」のように外部に影響を及ぼす。
いったん拡がると、今回のインフルエンザのように
パンデミックな現象を起こす可能性がある。
ある男性がHIV POSITIVEであり、それを「ドミノ」に告白することにより、
「ドミノ」は彼をHIVから救う。
舞台の後半部分にそのことの告白の場面がある。
そのカミングアウトのシーンあたりからストーリーが緊迫する。
そしてその男性は「ドミノ」の念のおかげでHIVから解放される。
ラストの大きな変化が怖い。(これは是非、舞台で!)
「神」とは極端に孤独な存在である。
誰も神になりたいなんて思わない。
しかし、神を、奇跡を、信じたい。
他力本願である。
他力本願から起きる「奇跡」を信じるという行為から、
人は宗教心、信仰心を抱くようになるのかもしれないなと思った。
スピリチュアル系のことが流行している今、
そのわけのわからないことと、信仰ということが一緒くたになっていることが
かえって危険でもあるなあとも思った。
自らのよって立つところがしっかりしていないと、
不安定な気持ちは、さらに蔓延していく。
デンマークの監督カール・ドライヤーの「奇跡」という映画を思い出した。
あの映画の中世の頃の信仰心は、
もはや期待できない時代になっているのだと思った。