手塚治虫の原作はいったいどんなんだったんだろう?と、ずーっと思いながら見ていた。
ピカレスクロマンというだけあって悪漢の非道な人物が主役の映画。
それを演じているのが玉木宏。
さすが、新東京タワーの上に立ち、クルマのコマーシャルをしている方である。
高いところに立つシーンがいくつか出てくる。
と反射的にあのテレビコマーシャルを思い出す。
ある独特な個性が彼の中にある。
トップランナーを見ていてその真面目な人柄に感心した。
「のだめカンタービレ」の役とは対照的な役柄を演じる。
心の深奥に大きな闇を抱えた男。
しかし、その大きな闇についてきちんとした説明がなされなかったのが残念。
その大きな闇があるからこそ、
彼はこんなにも悪行の限りを尽くせるのだろうと納得できるのに、と思った。
しかし、本映画ではそれが描かれない。
原作で描きたかったことの本質がこの映画に反映されているのか?
ということを思って見ていた。
手塚治虫生誕80周年企画だそうである。
手塚さんは丁度60歳まで生きた。
あれから20年が経った。
手塚さんがこの映画を見たらなんと言うのだろうか?
監督はドラマ「野ブタを、プロデュース」や「女王の教室」を手がけた岩本仁志。
現在、日本テレビの社員ディレクターである。
6月20日の朝日新聞朝刊の文化欄に
「映画監督にドラマの職人続々」という記事が掲載されていた。
リード文にはこう書かれている。
「テレビドラマのディレクターを監督に起用する映画がこのところ増えている。
テレビ局が資金のみならず人材も供給し始めた格好だ。」
フジテレビの亀山千広局長は言い切った。
「映画の前半はドラマと同じ、後半は映画ならではのもの。」
そういったものがドラマの映画化では鉄則であると。
映画評論家の樋口尚文さんのコメントが興味深い。
「今のテレビは性と暴力に踏む込むことがタブー。
だからディレクターも人間の大きなテーマであるこの領域に不慣れ。
従って、彼らの映画は概してテーマがほどよいものに限られ、
エキサイティングに広がっていかない。」と書かれてあった。
この記事を見て、「MW」を見たときのことを思い出した。
「手塚治虫最大のタブー解禁。」と映画のHPにも書かれてある。
タブーをTVドラマのディレクターが監督する。
そうして実際の出来はどうだったのだろうか?
「フレンチ・コネクション」を彷彿とさせるオープニング映像は秀逸。
その後、もっともっとおどろおどろしい、玉木を中心とした暗黒の世界が描かれるのか?
と思って見ていた。
そのためには、神父役の山田孝之へのフォーカスがもっとなされていいのにと思った。
自らの嗜好、性向を秘めながら聖職者として生きていかなければならないという
アンビバレンツな存在としてもっと深く、山田孝之を掘り下げて表現することによって
原作の持ち味を効果的に生かすことができるかもと思った。
そのために上映時間が長くなっても構わない。
空中戦やおおげさな爆発などはなくても成立すると同時に思う。
それよりも、玉木、山田の二人が抱える闇と業が
現代にもたらすものを描くことではないかと思った。
品川徹の隠し通していたことはいったい、何だったのか?
手塚は、沖縄で細菌兵器である「サリンガス」が流出した事件報道を受けて
この「MW」という漫画を執筆したと書かれてあった。
映画では、米軍との関係と「MW」を結ぶ線が見えてくるだろうか?
その線をきちんと探ることは「MW」の本当の意味を知ることになるのだろうか?
そういう議論をするためにも、一見すべき問題作である。
明日から全国で公開!