プロデューサーであり、今回の上演台本を書いていた笹部博司は、
この数年イプセン漬けである。
アフタートークでイプセンが今では趣味のようになっていると語っていらした。
「野鴨」「ちっちゃなエイヨルフ」「ヘッダ・ガブラー」と続き来年の2月には
「ジョンガブリエルと呼ばれた男」を仲代達也さん主演で上演する。
笹部さん自身がイプセンの翻訳したものを出版社とともに書籍化し、
イプセン文庫として売ったりもしている。
この時代に、イプセンがマッチしているのだろう。
昨年見た、デヴィッド・ルヴォー演出の「人形の家」も大変素晴らしい舞台だった。
イプセンの戯曲の中にある人間は単純ではない。
それにまつわる様々なテーマがあり、それが戯曲として魅力的にまとめられている。
作品は決して明るいものではなく、むしろ内面を描き、
人間の業やどうしようもないところまでを表現する。
「すかーっとさわやか!」みたいな感じで終わらないかもしれないが、
それがまたイプセンの魅力であると思う。
今回の演出は、若手の古川貴義さん。
彼は自らの劇団「箱庭円舞曲」を主宰している。
ものすごいカッコイイオープニングで舞台が始まる。
小沢真珠がすくっと天を見上げて立っている。
まるで神をあの世を見ているかのような姿。立ち姿が美しい。
肩にかけているスカーフがはらりと飛んで舞台が始まる。
音楽と照明の効果的な使い方で印象的なオープニングとなる。
古川の演出力の一端が垣間見えたような気がした。
そこからは素晴らしいキャスティングされた俳優たちが
丁寧に戯曲の言葉を追っていく。
原作から出演者を数名カットした状態で今回の舞台は構成されたと聞いた。
それ以外は、原作の戯曲に、ほぼ忠実である。
それは、「野鴨」や「ちっちゃなエイヨルフ」も同じ。
オーソドックスに戯曲を丁寧に踏襲していく。
アフタートークで笹部さんがおっしゃっていたのだが、
僕はこの戯曲を演出によって奇をてらったものにはしたくないとおっしゃっていた。
笹部さんの意向が反映されているのだろうか?
小沢演じるヘッダ・カブラーとはカブラー将軍の娘という意味。
彼女は学者であるテスマン(伊達暁)と結婚した。
しかし、彼女は新婚生活がつまらないという。
天の邪鬼でわがままなヘッダ。彼女は周りを巻き込んでいく。
そしてそのわがままな性格をストレートに表現していく。
素直な人だ!と思った。
考えていることは、少し破綻しているように見えるかもしれないが
思っていることをあれだけストレートに言える人も珍しい。
特にネガティブな意見をストレートにはっきり言うシーンは
あまりの強さに笑いが起こる。
2004年に話題となったテレビドラマ「牡丹と薔薇」を彷彿とさせる。
小沢自身ももともといい家系のお嬢さん。
その高貴な感じが彼女のキャラクターに合っていた。
そのほか町田マリー、小野哲史、判事さんをやった山本亨など
5人のキャスチングが完璧だった。
戯曲が先行するあまり、少し観客に忍耐を要求するシーンがあるかもしれないが、
それを乗り越えるとイプセンの大きな世界が体験できる空間となった。
伊達はああいった優しいとぼけた演技をするととてもいい。