武田泰淳原作。鐘下辰男構成・脚本・演出。
映画「ひかりごけ」を随分前に見た。
熊井啓監督。三國連太郎が船長役だった。
当時は、その出来事が、あまりに凄かったので、
それ自体が、僕にとっての驚きとなっていた。
同じモチーフで作られた「海亀のスープ」の話は
あまりにも有名。しかし、これは単なる謎解きではない。
北海道出身の鐘下は、地元で起きた事件を、
実にリアルなこととして演劇的に、僕たちに提示してくれた。
極限状況で人はどのように振舞うのか?
舞台では目の前、数メートルでそれは行なわれる。
人を食べて、ギリギリの極限状況から生き残る。
死んだ人も地獄だが、生き残ってしまった人もまた地獄。
時代は昭和19年。太平洋戦争の末期。
知床半島の羅臼付近に漂着した4人の兵士が
洞窟で食べるものが無く日々衰弱していく。
死と背中合わせの環境で、一人また一人と死んでいき、
生き残った者たちは彼らを食べざるを得なくなる。
舞台は前後から客席をはさんで
真ん中にシンプルな四角い空間だけがある。
舞台中央に、りんご箱がふたつ。そこで火が焚かれ、
上には南部鉄の五徳。さらに南部鉄の鍋が置かれている。
鍋の中には良く煮えた肉がたくさん入っている。
木のお玉がひとつ。肉を小鉢にすくうときに、
木のお玉と南部鉄の鍋があたり「コツリ、コスリ」と音を出す。
品川徹が登場したあたりから、俄然面白くなる。
人間は、何かを食べ続けなければ生きていけないのだ
という当たり前のことを、当たり前に提示される。
そして人間は殺生することによって生かされているのだ、
ということを改めて感じることになる。
人肉を食べるという行為の置き換えとして、
彼らは鍋の中の肉を食べる。
食べることによって、祈るものがいる。
物凄い勢いで食べ終え「美味しいです!」というものがいる。
食べるものがあることに感謝しつつも、
生き続けなければいけない人間(=動物)の業に直面して、
哀しみや苦しみが生まれてくる。
そのことをストレートに感じることが出来るのも、
このような極限状況だったからに他ならない。
そして生き残った船長は、裁判にかけられる。
声だけの出演者=検事が、船長を罵る。
船長は、検事にふたつだけ質問する。
あなたは人の肉を食べたことがありますか?
あなたは自分の肉を他人に食べられたことがありますか?
その経験がない人に、自分を裁くことは出来ないと問いかける。
同じ質問を観客も受けることになる。
僕たちはどう思うのか?
そのときに一斉に客電が点灯され、観客たちが白日の下にさらされる。