何とも、素晴らしい舞台が出来上がったものだ。
ラッパ屋での初演は確かTHEATER/TOPSだった。
あの小さな空間が、このような大きな空間に変化して
いったいどうなるのだろう?と心配していた。
その心配は2幕の真中あたりからは感謝と希望に変わっていった。
斎藤由貴演じる、斎藤幸子である。
「幸子」は、文字通り、幸せな子である。
鈴木聡が描いた「幸せ」とは「幸せ」のカタチとは、
についての彼なりの回答がここにある。
その解釈がいい。
ああ、こういった幸せのカタチがあるんだなと思わせてくれる。
わたしたちは、幸せのカタチをステレオタイプな型にはめ込んではいないだろうか?
演出の河原雅彦が健闘している。
あの大きな舞台で、豪華なキャストを上手く采配している。
お笑いの要素を盛り込みながら
本質的な鈴木の描くメッセージをわかりやすく伝える。
舞台は月島。鈴木聡は月島が好きだ。
彼が手がけたNHK朝の連続ドラマ「瞳」も舞台は月島だった。
僕自身、会社が「新富町」だった時代が長かったので、
月島にはしょっちゅう通った。
その頃は佃島のジムに良く通った。
また、駅前にある公営プールでも泳いでいた。
舞台は二軒並んだ「もんじゃ焼き」屋さんである。
ここの主人同士が幼馴染でもう40年近く顔を毎日突き合わせている。
きたろうと村松武。
きたろうが
「毎日、40年顔を突き合わしても飽きないんだもの。」
と言うシーンにぐっとくる。
人間と人間が長いつきあいによって生み出している
信頼関係は何物にも代えがたい。
もちろんお金では買えない。
斎藤由貴は、女子高校生から25歳くらいまでを演じる。
最初とまどったが、彼女のもつぽちゃっとしたリアリティがよかった。
斎藤幸子という人間が育まれた街とそこにいる人々の物語が語られる。
松竹新喜劇などの人情喜劇を超えた何かがここに確実にある。
人情ものはテクニックで泣かすのではない。
人間が生きていくことの真の部分に触れているから、観ていて、感じるのである。
そこを勘違いすると「泣かせるもの」という
テクニックに走ったものになってしまい、それは、本当に危険。
こういった舞台を見ていると、具体的な表現の仕方の重要性に気づかされる。
今回、特筆すべきことに噺家の柳家喬太郎が出演している。
犬の役。2幕の冒頭で、もんじゃ焼きの作り方を解説する。
そして2幕ではこの舞台で重要な役、山崎の役を熱演する。
志らく師匠にも似た演技が、やはり噺家さんなのかなと思ったりもする。
すこし歌舞伎役者にも似たような?
柳家花録師匠や、春風亭昇太師匠も最近、舞台に出ていた。
今年は、何故か噺家の出演する舞台が多いような気がするが?
明星真由美がいい。
また、粟根まこと、千葉雅子、中山祐一郎、小林健一といったラッパ屋ではない
小劇場の俳優さんたちが素晴らしい調和と個性を醸し出していた。
パルコプロデュースは侮れない。
ずいぶん前に、パルコプロデュース斎藤由貴主演、三谷幸喜脚本の
「君となら」を見た。これも後世に残る素晴らしい舞台だった。
斎藤由貴はコメディエンヌとして素晴らしい才能を持っている。
TVドラマ「吾輩は主婦である」(宮藤官九郎脚本)をもう一度見てみたくなった。