フランツ・カフカのいくつもの原作を折り込んで、
場所を世田谷区に置き換え再構成したもの。
そんなことがはたして出来るのだろうか?と
最初、怪訝に思いながらも見ていると、
これはこれは全く新しい構造のカフカなのかナイロンなのか
わからない舞台が出来上がった。
このようなものになるとは誰も予想がつかなかったのかも知れない。
今回は劇団の俳優たちが組みになって、
エチュード形式のワークショップを重ね稽古をしながら
舞台を作っていったそうである。
個々のシーンが独立しながらも特徴のあるシーンとなり、
それらがゆるやかにつながっている。
このゆるやかにつながっているというのが
今回の舞台の最大の特徴ではないだろうか?
骨太なストーリーが舞台の流れを決め
支配するものとは真逆にあるもの、となっていた。
カフカの「失踪者(アメリカ)」「城」「審判」などの長編と
「田舎医者」などの短編の一部が各エピソードとして出てくる。
その様々なシーンをつなげて新たな「世田谷カフカ」が再構築されている。
以前、MODOの松本修が挑戦したカフカ三部作は、
それぞれ原作に忠実にその世界観を再現したものの秀作だった。
が、このナイロン版カフカはその奇妙な原作と現在とを
いかにつないでいくのかということに主眼が置かれて作られたように思う。
結局、カフカって何?というところから始まり、
その人と作品を通じて現在の奇妙な社会へもつなげていこうとする試みが
ここでナイロンの俳優を通じて行われる。
そうすると、やはりこの舞台はナイロンらしさが前面に出てくるのだな
ということがよく分かった。
達者な俳優たちが二十数名でカフカに取り組んでいる。
そして客演の中村靖日がフランツ・カフカを演じている。
中村の姿が本当に当時のカフカそっくりなのだ!
生き写しが今、現在の世田谷に現れたような気になる。
そして、ロマンチカの横町慶子が久しぶりにナイロンに参加し
大人の色気を振りまいている。
カフカのストーリーと世田谷区長の家、
世田谷のアパートで義理の母の介護をしている家族、
そして、同じく世田谷のアパートでカフカの舞台に挑戦する
ナイロンの劇団員自らの姿も登場する。
劇場のバックステージも登場し、観客に背を向けてカーテンコールをしたり、
楽屋でのよもやま話などが盛り込まれ
カフカの世界と、現在の世界が少しづつ融合していく。
これは村上春樹の小説のようではないか!とも思った。
KERAも村上春樹もフランツ・カフカのファンである。
村上春樹は、カフカ賞を受賞し、彼の故郷である
チェコのプラハへ授賞式にまで出かけている。
このような、極めて現代的な作家たちが
フランツ・カフカに興味を抱くのはいったいなんだろう?と思った。