司馬遼太郎は「この国のかたち」という題名のエッセイを
文芸春秋の巻頭コラムとして書き続けた。
それは彼が急逝されるまで約10年続いた。
「この国のかたち」の連載が始まったのが1986年(昭和61年)
司馬さん63歳のとき。
司馬遼太郎は1996年(平成8年)72歳で亡くなる。
命日は2月12日である。
結局、司馬さんは21世紀の日本を見ることなく去っていった。
彼が小学校の国語の教科書に書いた
「21世紀に生きる君たちへ」という文章がある。
1988年司馬さん65歳の時である。
彼はそのとき21世紀までは生きていないだろうと思い、
次世代の子供たちに対して思いの丈を文章にしたのだろう。
彼のこの文章に初めて触れたのが、十年ほど前に行った
司馬遼太郎記念館だった。
東大阪の駅からかなり離れたこの記念館は司馬さんの住居であり、
ここで司馬さんは実際に執筆されていたそうである。
その土地を上手く使って安藤忠雄は素敵な記念館を建築した。
この文章「21世紀に生きる君たちへ」を読んで
初めて僕は司馬遼太郎に興味をもった。
そしてこの文章に書かれている言葉が大好きになった。
晩年の司馬さんはこの国のかたちを憂いとともに心配しながら
そーっと見守っていたのだろうか?
彼のもともとにある高潔でさわやかな心意気のある姿というものを、
彼の文章を通じて想像し、さわやかな気分になる。
そういう気持ちをもった「くにのかたち」みたいなものが重要なのではないだろうか?
と司馬さんは理想を持ち続けて、文章を書きつづけていたのではないだろうか?と想像した。
本書が出版されるようになった発端は、
文芸春秋の編集長あてに原稿のやりとりをしていた
司馬さんの手紙がたくさん保管されていたことに起因するらしい。
その手紙をもとに、司馬さんの晩年10年の軌跡と
司馬遼太郎という人について、
関川夏央に書いてもらおうというところから始まった企画だそう。
関川夏央はその大役を引き受け見事な形にした。
関川夏央というと、明治の文豪について書かれた評伝漫画の原作者
というイメージがある。
その明治の人々を描いた関川が
明治の人々を「坂の上の雲」などを通じて描いた司馬さんについて書く。
面白くない筈がない。
前半はやや硬い印象があるが、
文章の生硬さは関川さんの個性なのかもしれないなと思って読みすすめた。
司馬さんの実際の晩年の部分はもっと深く書いてくれえええ!
というような気分にもなった。
一人の人間の10年を描くことが
こんなにも面白いものになるということが嬉しい。
21世紀を迎えて早10年が経とうとしている。
改めて「21世紀に生きる君たちへ」を読み返してみようと思った。