以前、「野中広務 差別と権力」魚住昭著(@講談社)というルポルタージュを読んだ。
その時に野中さんが被差別部落出身であるということを知った。
最近では、TBSのプロデューサー栗原美和子と結婚した
猿まわしの村崎太郎が自身の出自について本を出している。
「差別と権力」が出版されたのが2004年。
あれから五年経って時代環境も徐々に変化しているのだろうか?
当時は家族に対することなども含めて
魚住氏が「差別と権力」を出版することに様々なためらいがあったようである。
今年、野中さんは1925年生まれ。84歳になる。
今、語っておかなければ永遠に語れないかも?
と感じられたのだろうか?
辛さんの鋭い質問に懸命に答えていらっしゃる姿が文章から伝わってきた。
聞き手であり、書き手でもある辛淑玉は在日朝鮮人である。
1959年生まれ。
人材開発コンサルタント業務をしながら
社会的弱者のために様々な本を出版し活動されている。
本書は様々な書店で売上のト上位に入っており、
僕自身が買ったものもすでに五版目となっていた。
出版してから40日後の奥付である。驚いた。
本書の対談の中から何故、差別というのが生まれるのか?
人間の差別意識とは何なのか?というようなことが伺える。
簡単に断定できるものではないのだが、
そこから見えてくるものは人間を語る上で重い。
被差別部落出身者と在日朝鮮人の対話から
その複雑さと曖昧さが見えてくる。
黒人差別などのように肌の色などで一見してわかる区別などない。
ユダヤ人への差別もそうなのだろうか?奥の深い問題。
人間は出自を選べない。
とともに、わたしたちは自らの出自を一生抱えていかなければならない。
また、差別される人が過剰に自分たちの権利や権益を主張して
公平さが崩れることが差別を逆の意味で助長するということを
野中さんは懸念されていた。
たとえば、公共工事の受注などを
以前は被差別部落の土建屋さんが優先されていた事実があったそうである。
そのことによって、さらに差別が助長される。
その事実を聴くと、簡単に割り切れない、
奥深い人間の業を感じる。
嫉妬が入り混じったものにしてしまったのは一体誰なのか?
野中広務が国鉄職員だったころ
面倒をかけた部下に、あの人は部落の人だからと言われ、
その後数日間、悶絶して煩悶を重ねたと、
夜も眠れず、自らの出自のこと
自分自身のことについて考えつくしたそうである。
そのような事実を聞き、
その現実の恐ろしさにひれ伏した。
ととともに、その後、野中さんは自らの出自の場所へ戻り
本当に差別のない社会を作ろうと政治家になった。
その勇気と実行力にただただ驚くばかりである。
被差別の人たちが特別扱いされることを野中さんは嫌った。
同じ部落の人からも厳しい反発を受けたらしいこともおっしゃっていた。
毅然とした態度で臨んだ野中さん。
ただ、野中さんは妻に対して家族に対しては迷惑をかけた悪い夫だったと
懺悔のような言葉を語る。
そして、罪滅ぼしに女房を二泊三日くらいの小旅行に連れていきたいと
書いていたあとがきにぐっときた。
そんなささやかなことでいいのか、という想いとともに。