図書館で借りてきた。タイトルに惹かれた。
副題には「人間性の起源を探る」とある。
著者の山極寿一は霊長類学の研究者である。
彼は、世界中の様々な霊長類の行動を研究観察した中から
人間とはを探っている。
霊長類学者は、同時に人間の起源の研究をする学者でもある。
ここで、原初的な事実に気づかされる。
その種が生きるということは、食物を摂取して、交尾などをし、
種の子孫を残し続けていくことであるということがよくわかる。
霊長類にも
手に載るくらいの小さなお猿さんからゴリラやボノボに至るまで
様々な種が存在していることがわかる。
そして、その種、それぞれがそれぞれの種を
きちんと残していこうとする法則があり、その法則は崩れない。
山極さんが言っていたのは、インセストタブー(近親姦の禁止)が
あることによって多様な種と関係することが必要になると。
特に母親と息子の近親姦は、どの霊長類でも強く
タブー視されていることが本書を読むとわかる。
逆に言うと、父親と娘などはそのタブー度が低いということなのだそうである。
霊長類たちが骨などを手に持ち、それを武器にしたという記述が出てくる。
彼らが戦うということを始めた象徴的な事例として。
スタンリーキューブリックは映画「2001年宇宙の旅」の中で、
未進化の人類が骨を持ち、相手を撲殺出来るようになったことが描かれる。
それが人類の進化の暗喩のように描かれる。
彼は、その骨を天高く投げる。
とともにその骨は形を変えて宇宙船になる。
武器として道具としての骨が進化の象徴に変わり、
映画はラストでモノリスという大きな石版を、そのさらに進化したものとして描いた。
1965年の作品である。
しかし、実はこのような狩猟をするものたちが
殺し合うというのは間違いであるという研究結果が出ていることが興味深かった。
武器の出現によって殺し合うものでは決してない。
同種の動物同士の争いは
限りある資源をめぐっていかに相手と共存するかを模索することにあるのだ。
では、その限りある資源とは何だろうか?
動物たちにとって、それは食物であり、交尾をする相手である。
めしと女。
自らの生命を維持し、子孫を残すために、動物たちは争いを起こす。
では、人間はなぜ、同じ種を殺し合うのか?
一つの特徴として人間は食物を分かち合う。
積極的に「めしを一緒に食う」という行為をする。
それは、人間は関係の中で生きていく
極めて社会的な動物だからなのである。
そのことが、戦争を延々とやり続けていることにつながると山極さんは説く。
家族という社会を人間はつくる。
その社会のいきつく果てが国家ということになる。
余談だが音楽の発生によりその絆は強くなったそうである。
人間の戦いは群れに奉仕することが前提になっていると説く。
家族や共同体を生かし守るために戦う。
あくまで人間の戦う動機は共同体の内部にある。
現代の戦争は、そういった人間の社会性と心理を為政者がうまく操り、
国家や民族集団に奉仕させようとして起きているのだ。と。
さらに言語の出現と土地の所有によってそれは激しくなる。
著者はもういちど分かち合いの出来る集団に戻ろうと根源的な問いかけをする。
戦争のない限られたものを分かち合える世界を!