作・演出の高羽彩は、現在26歳。
この戯曲は弱冠22歳の時に書かれ早稲田大学構内で上演された。
日大闘争を彷彿とさせる学生運動とのかかわりを描いたもの。
大学の自治会と手話サークル、劇研の倉庫が一緒になった
大学の101号部室での物語。
大学当局はこの101号室の部室を廃止し、
1か月以内に彼らに部室を明け渡すように求める。
そして、学生たちは当局に対して、立ち上がろうとする。
同時に、70年代安保だろうか?1968年あたりの学生運動をしていた二人が
別次元で出てくる。彼らは恋人であり、恋文を交換日記のようなかたちでしたためていた。
そのノートがこの部室に今も残っている。
彼らは70年闘争のときに
この部室でまさに国家権力や大学当局と闘っていたのだろう。
高羽の戯曲のいいところは、どちらが正義とか悪とかを規定しないところ。
実際にそんなことはわからないし、あの時代の彼らの頭の中はどうだったのか?
なんて結局誰にもわからない。
熱がひくように学生運動は盛り下がっていき、
いまや立て看板を書くことさえ珍しいことになっている。
現代と学生運動が華やかなりし時代が対比され描かれている。
その間を結ぶものが、現在学生課に勤務している吉田さん(有馬自由)である。
彼は、現在59歳。
当時の学生運動をこの自治会で恋人だった二人とともに闘っていた。
バリケード封鎖して闘うとき、機動隊の突入で吉田さんは二人を置いて逃げ出した。
その記憶が彼の中にいつまでもトラウマになって残っている。
平成の現代にそのトラウマが解消されるとは思わないが、
彼はその「闘いの炎」をいつまでも燃やし続けたいとする。
実は、「闘いの炎」とは、実際に武器を持って戦うということではなく
現状を変え続けるためのエネルギーなんだと思った。
その熱意や気持ちがなくなることは
生きていくということをあきらめ放棄していくことではないだろうか?
という高羽彩からのメッセージとも受け取れた。
26歳の高羽は、このような大学闘争の事実を良く調べている。
彼女がこのテーマに興味をもったことは何故なのか?
そこに強い興味をもった。
映画「実録・連合赤軍」の出来る以前に、この脚本があり上演されていた。
そのときの彼女の興味はいったい何だったのか?
彼女は振り上げたコブシが振り下ろされる場所があった時代。
と折り込みに書いてあった。
自治会の紅一点、牛島ミドリ(広澤草)は、生まれる前に自殺した
父親が学生運動の闘士だったという。
彼女は父親に対する想いから、自治会活動を選び、
父親の影を追って行きたかったのだろう。
吉田さんとの会話に彼女の想いが凝縮する。
現在の学生運動は、こんな感じだよね!というゆるさといい意味の軽さが
上手く表現されており、手話サークルの面々との対比がそれを強化する。
学生運動をする意味はなんだったのか?
ということが客観的に浮かびあがってくるのだ。
先週、加藤和彦が亡くなった。
劇中で「イムジン河」が引用されている。
これも何かの縁だろうか?
ボブディランの「風に吹かれて」など、
当時のヒット曲がいくつか使われているのが良かった。