「さだまさし」というブランドには、30年以上の歴史と記憶が続いている。
その記憶を同時体験的に生きてきたものたちが共有するための場として、
さだまさしのライブは強く機能するものではないかと思う。
今年、発表された新しいアルバム「美しい朝」の楽曲を中心にコンサートは行われた。
本日のお客さんは年配の方が多い!とトークで語る。
実際に若い人もいるのだが、60代いやそれ以上のお客さんが劇場を埋めている。
音楽ライブによくある総立ちスタンディングライブのかけらもない。
静かに座って歌を聴き、トークを聞いて笑い、
静かにしかしながら力強く拍手をする。
そこには、何か温かな人間としての優しさみたいなものが
通奏低音として流れている。
まるで、落語を聞きに来ている感覚に近い。
素敵な落語の独演会が3時間以上も続く。
人情噺にも似たものから、滑稽噺に至るまで。
様々なものが混じり合ってつながっていく。
少し遅れる。
会場に入ったら映画「ぼくとママの黄色い自転車」の主題歌「抱きしめて」を歌っていた。
映画のシーンが蘇る。
さだまさしの歌は、とても映像的でありその前に文学的である。
歌詞と曲が一体となって、さださんのあの声がある。
これはオンリーワンであり、歌声自体が唯一ここにしかない楽器ともなっている。
それが、さだまさしの個性であり、
その声がこの日はとてもよく響いて聞こえてきた。
NHKホールで過去、何度か聞いたものと明らかに音の聞こえ方が違う。
会場の問題なのか?それとも、音響設備の問題なのか?
さださん自身の声が出ていたのか?
この日は、そのような環境だったのでとても音が声が歌詞が耳に入りやすく、
そうするとその現場に集中することが出来るんだなと思った。
もっとも笑ったトークは十津川村のトーク!
ベストトーク集のCDにも入っているこのトーク。
今回用にアレンジは施されたに違いないがよく出来ている。
噺家が同じ話を何度もやって面白さや芸を磨いていくのと同じことなんじゃないか?と思った。
さだまさしが大阪からぐるっと紀伊半島を回って
お伊勢さんから松坂に回って戻ってくるという一人旅を計画したときの話である。
創作をするために一人で旅をすることの効用をさださんは述べていらした。
複数で旅をすると、その旅での感動をわかちあうものがいるので、
そこでその感動を共有することで完結してしまう。
しかしながら、一人で旅をしているとそれらの感動が自分のなかに
澱のようにたまっていき、それが創作をするチカラになると。
なるほどな!と強く納得。
そこで自分と向き合い、考察することによって
新たな創作をするエネルギーを得るということなのだな。
このようなことをきちんと言葉にして伝えてくれることに感謝。
そして、その一人旅の目的を、「十津川」の人々は軽々と乗り越え
さださんの中にどんどんと侵入してくることの面白いことといったらない。
役人さんの様子や運転手さんのマムシの話など、
実話だとおっしゃっていた。
コンサートでは、
30年前に作った「親父の一番長い日」のアンサーソングとして
30年後に作った。「ママの一番長い日~美しい朝~」を
それに、呼応するように歌われた。
こうして世代は引き継がれていく。
命が無くなってもそれは続いていく。そのことを強く感じた。
さださんは一世代は30年だという。
自分たちの未来のことを語るときに
30年先のことを見据えるということに実感がこもっていた。
もうすぐ、さだまさしも二世代目の齢を迎えようとしている。
そして真剣に次の世代に伝えることを細々と(さださんの言い方です。)
やり続けている!と。