1980年代前半、浅田彰の「構造と力」(@勁草書房)がブームになった。
難解な現代思想の本にもかかわらず、爆発的に売れ、
浅田彰は時代の寵児となった。
当時、朝日新聞から「朝日ジャーナル」の
編集長に就任したのが筑紫哲也だった。
彼が始めた連載、「若者たちの神々」の第1回目に取り上げられたのが、
当時、京都大学の大学院生だった浅田彰。
彼はその後、「逃走論」という本を出し、
中沢新一の書いた「チベットのモーツアルト」とともに
僕の自宅の本棚に飾られていた。
どの本も最初の数ページをパラパラと読んだだけで
詳しく中身を見ることもせず、背表紙だけが空虚な異彩を放っていた。
この三冊は、自分自身のふがいなさの象徴のように、
いつまでも実家の書棚に納まっていた。
あれから四半世紀が過ぎ、その後の日本の現代思想を概観する!
という挑戦が佐々木敦によって行われた。
丸山真男の「日本の思想」(@岩波新書)を意識して
題名は「ニッポンの思想」。
カタカナ表記にすることによって軽佻浮薄時代と呼ばれた
80年代から始まった日本の思想界についてを表現しているのだろうな?
と本書を読んで思った。
本書の内容をざっとまとめると以下のようなことになる。
「80年代」は浅田彰・中沢新一、蓮実重彦、柄谷行人の四名。
「90年代」は福田和也、大塚英志、宮台真司の三名ですが、
「ゼロ年代」は東浩紀ただ一人しかいません。
これは、どういうことでしょうか?
ということの考察が本書では時間軸に沿って行われる。
ニューアカデミズムというブームを作った80年代、
その時代は上記の4名の言説を読む、
いやそれ以前に所有することによって
「わかった気になっていた。」のであり、
それで良しとされる時代の気分だった。
彼らは、「わかった気にさせてくれる。」ものを持っており、
雑誌やシンポジウムの対談などでわからない言葉を駆使して、
発言した。
しゃべり言葉だから何とかなるだろう!ということで、
彼らの登場する雑誌などを読んで、
わかった気になっていれば満足だったのである。
いま、考えると本当に恥ずかしいお話である。
ただ、アカデミズムという言葉に代表されるように
彼らの言説は世間に流れるのだが、
彼らが社会に対してなにか行動を起こしたりすることは、あまりない。
ある種、隔離された象牙の塔で、頭のいい僕たちは、こう考えている。
わからないのは、馬鹿だからだ!
ということで両断してしまう!
それでは、決して、世間の人々と切り結ぶことはできない。
浅田彰とはそのような人であったと。
浅田・中沢の思想を受け継いでいた東は、
これではまずいと気づいたと本書に書かれている。
その後、彼は、「理念=理論」から「現実」へ、
アカデミズムからジャーナリズム的なる方向へ転向していく。
この転向は「90年代」の思想家が行ってきたことであり、
福田、大塚、宮台はいまだに世間と結ぼうと活動を行っている。
以前、演出家のYさんから宮台のWEB放送局
「ビデオニュース・ドットコム」のサイトの話などを伺って興味をもったが、
まさにそのようなこと。
また、佐々木はこうも言っている。
「80年代の思想」は「現状」に対して「批判的(否定的)」。
「90年代の思想」は「現状」に対して「関与的(留保付きで肯定的)」
「ゼロ年代の思想」は、「世界」を「甘受」する。
と。
これからの思想は、どうなるのかは記されていない。
そこの佐々木ならではの考察を聞いて見たかった。