長塚圭史が文化庁の海外研修制度を終えて帰国した。
帰国直後に女優の常盤貴子と結婚した報道があったから、
彼の名前を知っている人も多いだろう。
ロンドンから帰国して長塚の作風はどのように変化したのか?
その第1弾となる本作はまさに興味津津の舞台となった。
光石研演じる作家の頭の中の妄想なのか現実なのか、
そして時間軸が逆行しているのか?それとも?
様々な断片がつなぎあわされて一つの舞台になった。
緊迫した舞台。
その緊張感が途切れることなく舞台は2時間進む。
観客の集中力が試されるような。
最初、舞台の構造や進め方が新しいのでとまどうのだが、
ある時期、その世界がすんなりと入ってくると
何故か知的に刺激され、舞台に見入ってしまう。
これは、どういうことなのか?と考えた。
ある長塚の冒険があり、それに挑戦し、
その挑戦がギリギリのところで成立している。
その線一本で到達レベルを乗り越えていることが凄い!
全体を通じて感じたのは俳優たちが粒だっているということ。
それぞれの俳優たちの個性がきちんと描けており、
彼らのセリフひとつひとつが粒だち、
その身体とともに舞台が全体として浮かび上がってくる。
これが本多劇場でなくザ・スズナリならば
さらにその深度は深いものになっただろう。
Oさんは、本作をこのように評した。
これは、ある作家の頭の中の創作過程と妄想を舞台にしたもの。
ミステリーのようなエンタメ作品ばかり書いていた作家が
ある実験的な作品を発表する。
それは、様々な書評でこき下ろされる。
そのような環境の中、作家は新たな物語を構築しようとする。
作家は作者なのでもちろん結末をある程度は予想している。
そう、彼はあらかじめ未来を知っているのである。
しかし、この時点では登場人物たちは誰も知らない、
などということが彼にはわかるのである。
当然である、物語の作者なのだから。
その中での時間は自由に動き、人間関係も複雑に交錯し変化していく。
そういった舞台なんじゃないの!
恐れいりました!
自身も物語を書くOさんの指摘にすんなりと腑に落ちるところがあった。
と、同時にこの舞台のタイトル「ワンダーランド」という言葉が
村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」の構造に似ているのじゃないか?
作家の頭の中の世界と現実の世界がパラレルで進んでいくのだが、
ある時期それがどっちがどっちだかわからなくなる。
そういう、世界がここでも描かれており、
「ワンダーランド」という言葉とともに彼の小説を強く意識させるものになった。
パンフレット(装丁がいい!そして内容が濃い!)に
制作代表の伊藤達哉がロンドンにいる長塚電話で話した部分を引用する。
長塚は、昨晩見た夢の話を滔々と語り始めた。
それは作家の話だった。
ひとりの作家の中に、未来に進みたがる男と、過去に引きづられていく男とが混在し、
悩みながら交わっていくのかいないのか・・・。
作家はやがて事件に巻き込まれ逃亡を余儀なくされる、
その逃走中に出会う人々は
かつて自分が描いた登場人物たちなのか、そうでないのか・・・。
様々な解釈ができる舞台。それが今回の舞台の魅力でもある。
俳優たちがすばらしい。ナイスキャスティング!
2月14日まで。