江川紹子と言えばオウム事件で毎日のようにメディアに
出ていたジャーナリストである。
彼女はひとりでオウムに向き合っていた。
彼女はそこから決して逃げず、それを継続した。
おとなしそうなメガネをした優等生の女子が
高校のクラスにも一人くらいいるが
そんな印象を持つ人である。
しかし、その地味な外見からは見えない
底に秘めたものは揺るがなくそして熱いことが本書を読むとわかる。
そんな思いから本当の勇気とは何か?を
10代の青少年に伝えたくて江川さんは、
まったく面識のない出版社である、岩波ジュニア文庫の編集部に電話したそうである。
自分がこうしたいと思い続けると、いつかはそのことが実現する。
これも一つの勇気の形だろう。
江川紹子は本書の中で様々な具体的な人にフォーカスをあてる。
その人たちの生きざまそれ自身が勇気というものにつながるのだ!
ということを伝えたいのだろう。
人選が江川さんの考えや志向を映しだす。
特に10代の子たちには「ええっ!」と驚く話が満載。
なぜならば、本書では無理に空気を読んで同調しなくてもいいんだよ!
ということが語られているから。
日本の、特に学校ではみなが一緒ということが求められる。
最近は少し変わって来ているのかもしれないが、
全体の空気を読んで、それに同調していくことが彼らの生きていくための術であり、
それを破ることはタブーとさへ感じているのではないだろうか?
その彼らに江川さんはそんなタブーはないですよ。
自分の信じるところがあれば自分の気持ちに正直に生きていけば、
そしてそれを貫けばいいですよ!と語る。
しかしながら、実際の彼らの具体的な事実を見ると、
その現実は壮絶である。
自殺したくなるような状況から
何とかとどまり信じる道を進んでいく。
そのときに少数ながらも彼らの周りに必ず理解者が現れる。
ここからわかるのは少数派の意見でも、
同じような意見をもっている人が必ずどこかにいるのだ!ということ。
そうした理解者や仲間を見つけることに自覚的であることは
とっても有意義なことではないか?
そうして、自らが救われ、世間の空気に同調していかなくても大丈夫
と思える様になればいい。
同時に、本書は全体主義的な考え方に対してのアンチテーゼの要素も多分に含まれている。
それが顕著に表現されていたのがパレスチナとイスラエルの章だった。
多くのユダヤ人は確かにホロコーストによって虐殺された。
しかしながら人間たちは様々なところで同じような虐殺を行っていると。
そして、今、イスラエルはパレスチナに対して侵攻を行ったりしている。
「これで本当にいいの?」
と素直に言える状況が少しでもあれば
世界は少しだけ優しくなれるのかもしれない。
「これは違うよ!」と言える環境があれば
世界は一つの方向だけに向かわなくて済むかもしれない。
そして、そうした意見を述べる人に対して無視をせずに
受け入れ向き合うことが出来れば
世界はもっともっと多様で豊かになれるかもしれない。
江川さんは本書にそのようなメッセージを残したのではないのだろうか?
本当の自由のために、
自由を獲得できる自らの責任を覚悟して
きちんと向き合おう!
ということなのかな?