これは「ダンス・イン・シネマ」と銘打った
JADE国際ダンスフェスティバルの中のプログラムのうちのひとつ。
何故、ダンスだったのか?
ということはこれらの映画を観てもわからなかった。
しかしながら、ポルトガルの世界最長老監督、
マノエル・ド・オリヴィエイラ監督の未公開作品の
上映をやって頂けるのは有難い!
「永遠の語らい」という映画を2年前に見て衝撃を受けた。
こんなに上品で美しく、しかも現実から目をそらさないで
西洋を語る映画があるのか!と思い知らされました。
土曜日に「言葉とユートピア」を見る。
蓮見重彦の公演が1時間前からある。
会場に行くとばったり、Iさんに会う。
Iさんは別の映画好きの方と話をしていた。
蓮見さんの講演を初めて聞いた。
話し言葉と書き言葉の中間のような感じで淡々と語る。
淡々と語る中にユーモアを交えるので、
変な「間」と、独特のおかしみが醸し出される。
蓮見氏はもしかしたら、コメディアンの素養があるのかも知れない。
また、蓮見氏が映画を語ると、知的好奇心が刺激され、
その講演に出てくる映画を全て観たくなる。
「その気にさせる技」と言うものが存在するんだなと思う。
映画自体は、歯が立たなかったというのが正直な感想。
特に「言葉とユートピア」はほとんどの言葉が頭に入ってこなかった。
1600年代の、宗教関係者の審問の話。
まず、西欧の中世における宗教の変遷についての
知識があやふやなのがまずひとつ目の大きな原因。
そして、集中力の欠如か、出演者たちが「話している言葉」が理解できないので、
ますますわからなくなる。
この映画の少なくとも意味がわかるようになりたいと思った。
それから、この映画は好きだとか何だとかを
やっと語れることになるのではと思った。
画調が独特で、西洋絵画のような雰囲気があり、
美術館で宗教絵画を見ているようで面白かった。
「不安」の方が、まだ伝わってきた感じがあった。
女性をめぐる男たちと、その女性の断片が、
微妙にずれながらつながっていく。
不条理劇的な構造は、わりと自分の中では受け入れやすかった。
しかしながらこれも美しい言葉たちが、
僕の中に届いてこないという自分の未熟さを感じた。
これらの映画を観て伝わってきたのは、
この監督は洒落者やなあということと、
きれいな女の人が好きな人なんだなあああということ。
これらのことだけは確信した。
オリヴィエイラ監督がコンスタントに本格的に映画を撮りだしたのは、
60歳を過ぎてからのことらしい。
僕もその年になるくらいには、これらの映画が、
もう少しわかるようになれればいいなと、真摯に思っております。