北野武フィルム。
カンヌのコンペティション部門に参加し、賛否があった作品だと聞いた。
新聞に紹介の記事が書かれており興味を持った。
暴力団の実際がここに描かれているのか?
はたまた、現状を拡大解釈しておおげさにしたフィクションなのか?
会長と呼ばれている北村聡一郎を頂点とした
暴力団の組組織の構図が、一般企業の組織の構図に重なって見えてくる。
実際の業務は反社会的なことではないにしても、
権力や命令系統が一貫しているという点では同じ。
警察組織や自衛隊はその最たるものだろう。
組織の中にいることによる無常感、暴力団の組員はその無常感に死が伴う。
暴力と死が常に身近にある彼らの生きざまは、
激しい生存競争に巻き込まれざるを得ない状況となる。
金と命が等価に扱われる。
そして金を媒介に組織は動いていく。
裏切りも日常的に起こる。
裏切り行為をそそのかす上からの命令が来る。
それを傘下の組員や若頭たちは断ることが出来ない。
細胞分裂が繰り返され、古い細胞はどんどんと破壊され死んでいく。
同じことがここで行われている。
死に向かっていくのを、彼らはためらわない。
それくらい非情な世界に彼らは生きている。
この映画はそういう意味ではとても教訓的である。
彼ら組員の生きざまを見ていると、これは大変だなと思う。
そういう意味での反面教師的な役割を
ここに登場するほぼすべての組員が演じている。
北野武の反暴力、反暴力団の思想がそこから透けて見えてくる。
ニヒリズムの塊のような物語。
組員たちが懸命に組織抗争を行ったり復讐の連鎖を繰り返したりする。
その懸命さから笑いがもれてくる。
これって笑っちゃうようなことなんだよ、
という北野武のメッセージなのか?
指をカッターナイフで詰めようとするがなかなかうまくいかない。
歯医者で治療中に歯を削る器具で口のなかをズタズタにする。
菜箸を耳から突っ込む、
男の首にひもをくくりつけ、助手席に乗せ、
助手席のドアを開けたままひもの片方を支柱に固定し
そのまま車は猛スピードで直進する。
などなどの様々な残虐なシーンをリアルに描いていく。
「ソナチネ」のような静寂はどこにもなく、大声で吠え、拳銃をぶっ放す。
今回はキャストもいつもの北野組とは違う出演者がたくさん出ていた。
石橋蓮司、三浦友和、加瀬亨、塚本高史などなど。
彼らのキャラがいつもの北野映画と違う印象を強くする。
そして音楽も今回は久石譲ではなく、鈴木慶一。
「座等市」で音楽監督を行ったのが鈴木慶一だと聞いた。
いままでの暴力団をテーマにした北野映画からは
見た目は随分雰囲気の違ったものになったかも知れない。
しかし、その底にある無常感や寂寥感、諦観などは何ら変わることがない。