西巣鴨駅を出て歩いて1分のところにある、
にしすがも創造舎は元々、朝日中学校だったところ。
さらに遡ると、大都映画巣鴨撮影所だったそうな。
その撮影所は大正8年から昭和17年まで25年間続いた。
1500坪の敷地が新たなアートの発信の場となっている。
この辺りは下町だが再開発が進み、
巣鴨のような情緒が表通りにはすでにない。
旧中仙道や都電荒川線の「庚申塚」よりも南に行くと随分感じが違うのだが。
学校を新しく、文化芸術の発信の場として
活用しようという気運が最近増えてきている。
少子化で子どもが減り、学校の校舎の再活用として歓迎である。
うまく活用しないと単なる箱もの行政の二の舞になる。
受け皿だけ整えても、結局、ソフトがしっかりしていないと観客は来ない。
京都芸術センター(元、明倫小学校)や
大阪ミナミの精華小劇場(元、精華小学校)などはどうだろう?
さて、この「4.48サイコシス」はどうだったのか?
以前、これのドラマリーディングを見た。
三軒茶屋のシアタートラムで。演出は同じ、阿部初美。
サラ・ケインの大変困難な戯曲を、
興味深いドラマリーディングに仕立てていた。
サラ・ケインはイギリスの女性劇作家。1971年生まれ。
1999年に自殺する。28歳で命を絶った彼女の、
イメージの断片のような言葉が綴られている。
それが、ドラマリーディングでは強烈に届いてきたのだが
今回の舞台はどうだったのだろう?
劇場が広すぎたのも原因のひとつかもしれない。
サラ・ケインの濃密な独白の断章を伝えるためには
「言葉」が逃げていってしまってはどうしようもない。
さらに俳優が、「言葉」をきちんと捉えて、
「言葉」を大切に投げ出していたか?
ビーンボールを投げられても、僕たちも受けきれない。
観客と役者のキャッチボールが出来ない。
ところどころ印象的なシーンがあっただけに残念である。
谷川清美が関西弁で「清美ちゃんは、○○。」と繰り返すところ。
5人の出演者たちが並んで投げかけられた「言葉」に対し、
それぞれがリアクションするところはとっても面白かっただけに、
全体の構造が緩慢になってしまったことが残念である。
今度は、全く違った阿部初美の演出を見てみたいものだ。