若松孝二は70歳を過ぎガンの治療をし続けていても
いまだ、そのパワーは衰えることなく実際の創作が続いている。
たいしたおっさんである。
現場に女優を連れて行くのが若松監督の習慣であると聞いた。
本作では寺島しのぶが監督の運転する車に乗って
撮影現場まで連れて行かれたのだと何かの記事で読んだ。
寺島しのぶは本作でベルリン映画祭最優秀女優賞を獲得する。
新聞などのメディアで評判になっていたので知っている人も多いだろう。
前作の「実録・連合赤軍」とはまた趣の変わった作品。
数週間の短期間で撮影し終えたと聞く。
しかも撮影機材はP2カード収録の小さなカメラだったんだ、
とタイトルロールを見て判明。
以前なら16ミリで撮影していたものが
こうしてデジタルの機材に置き換わっている。
効果的に昔の戦時中のモノクロフィルムが使われている。
公文書館などに保存されているものだろうか?
戦後65年経ったいまも、その映像は人に何らかの記憶を呼び覚ます。
寺島しのぶの住んでいる田舎の村がこの映画の中心となる
典型的な里山の風景が拡がっている。
夫である久蔵は赤紙をもらい中国戦線に行く。
そこで現地の女性たちに暴行の限りを尽くす。
民間人の女性たちを、犯した後に殺す。
残虐非道な行為が描かれる。
その久蔵は中国戦線で被弾したのか四肢がもがれ
江戸川乱歩の「芋虫」の状態で故郷に戻ってくる。
日本軍は彼を「軍神」とあがめる。
お国のために四肢をなくすまで戦って帰ってきた「軍神」。
せいぜい面倒を見てやってくれと寺島しのぶは親戚にもご近所にも告げられる。
彼は四肢をもがれ聴覚をうしない言葉を失っている。
その彼が出来ることと言えば、食べてセックスをして排泄すること。
その人間の、というか動物の最低限の機能を保持するために
寺島は久蔵に尽くす。
夜昼関係なしに求めて来る久蔵。それを義務感もあって受け入れる寺島。
世間の期待とは裏腹に、けなげにつくそうとする寺島の気持ちが徐々に変化していく。
戦争の最前線の現実がこんな小さな里山にも
リアリティを持った姿になってやってくる。
「軍神」だった久蔵と寺島との関係性がある時変化する。
久蔵は戦場の前線で起こったことを忘れられずにいる。
その時の体験が戦場から帰国してきた元軍人たちのトラウマになっている。
いまでこそ退役軍人のココロのケアなどと言われているが、
そもそも戦場の最前線とは
人間が人間らしくいられない場所、人間らしくふるまえない場所
のことを言うのだろう。
久蔵はそれから性器が勃起せずセックスさえ出来ない状態になる。
戦争は進み、東京大空襲が起き、沖縄決戦が起き、
そして広島と長崎に原爆が投下される。
久蔵の最期はあっけないものだった。
人の死とはそういうものなのかもしれない。
反戦などと声高に叫ばないが
ドシーンと響く反戦映画だった。
観客は70歳代以上の人が多かった。
その中に知り合いのMさんにばったり。
若松監督が好きな30代の女性がいるんだと思って嬉しくなった。