数年前の再演。同じアゴラ劇場にまたまた大量の砂が持ち込まれ砂漠が完成した。
「麦と兵隊」というものを読んでいないが、
この演目の題名はあきらかにこの書籍のタイトルから来たもの。
証拠に平田オリザが折り込みの中で「麦と兵隊」について触れている。
ある取材に時間がかかってしまい少し遅れる。
もう劇は始まっており2階の桟敷の席に案内していただく。
基本、初演と同じような設定。
隊長役の山内健司がいい。
リーダーらしからぬ兵士のリーダーを演じているのが
近未来らしいリアリティに満ちている。
彼らの任務は戦うことではない。行軍することだ!
という言葉はわたしたち見ているものに突き刺さる。
それはいったいどのような意味で発言されたのだろうか?
初演時はまさに日本軍(自衛隊)がイラクへ派兵した時期と重なった。
そこで兵士たちはどのような経験をするのか?
また、本作はある種の不条理劇的な構造を持っている。
「ゴドーを待ちながら」のようなベケット劇や別役実を彷彿とさせるものが。
だだひろい砂漠に様々な人がいきかう。
匍匐前進しながら行軍する第3連隊の人々。
ゲリラ軍と思われる男性と女の子。
あの女の子は少年兵士なのか?
日本人を親に持つ彼女はこの砂漠で生まれ
日本語を話すが日本にはいったことがない。
彼らが日本人から奪った桃の缶詰を食べるシーンが印象的だった。
格差は確実にあることの隠喩となっている。
また、民間人が平服で淡々と砂漠を移動するのも面白い。
志賀廣太郎演じる父親と三人姉妹が母親を探して砂漠にやってくる。
その家族の関係がこうした非日常の世界からより強烈にあぶりだされてくる。
平田オリザの上手さの一端がここでも見える。
また兵士の妻として日傘を持ったワンピースで
白いパンプスを履いた女性が登場する。
まるで植田正治の写真のような光景が拡がる。
鳥取県出身の植田正治は故郷の鳥取砂丘を舞台に
様々なアーティスティックな写真を撮り続けた。
機会があれば鳥取の植田正治記念館に行ってみたいものだ。
現在、龍馬伝で龍馬を演じている福山雅治は
カメラが趣味でその腕前はプロ並みである。
その写真を趣味とする彼が敬愛するのが植田正治だと聞いた。
「情熱大陸」で福山が植田正治記念館を訪ねるシーンが出て来る。
もとい。
こうした様々な人々が砂漠の中で会話をし
その会話から近未来の状況が現在の日本とシンクロしなが
ら様々なことを考えさせるような構造になっている。
途中ひらたよーこが煙草を吸いながら唄う軍歌。
そして志賀廣太郎の家族が休憩しているときに唄う演歌がこころに沁み入る。
まるで砂漠に水がしみ込むように、人の歌声が沁み入ってくる。