毎回、このレベルのダンスを1000円で楽しませてくれることに感謝。
いつも、黒田育世がものすごく丁寧に挨拶してくれるのがとても印象的。
黒田育世は今年、映画「告白」に出演した。
ので、ダンスを見ない人でも印象に残っている人がいるかも知れない。
犯人の子供の母親役として出演している。
白衣姿の黒田育世は新鮮だった。
監督の中島哲也さんが黒田さんの公演を見て
惚れこんで出演していただいたという話をどこかで読んだ。
今回は、BATIKのダンサーたちが少し長い作品に挑戦した。
いままでの「トライアル」だと10分から15分くらいのものが多かった。
短編小説というかショートショート的なもの。
それが今回は25分と60分の作品の二本立てとなった。
中編小説と長編小説みたいな感じだろうか?
どちらも三人のダンサーが出演する。
「最後に残るもの」
は音の使い方がとても印象的だった。
舞台だと音の強弱が極端に付けられる。
音のカットアウトからくるいきなりの沈黙、ダンサーたちの息遣い
そしてダンサーが動いているときの身体の音などなど
それらの要素が巧みに絡み合ってこのダンスを構成する。
印象的な踊りがいくつかある。
ダンスを言葉で語るのはとても難しいのだが
軽やかにリズムをとって静止と柔らかな動きが反復される。
というような印象のダンス。
「それでもお前は食べるのか」
はさらに物語性が加味されている。
最初は白雪姫伝説か?と思うような印象的な構図。
この創作からはいくつもの物語が見えてくる。
大人のためのグリム童話のような。
眠っている少女の口元にまるで幼児遊びのようにプチトマトを食べさせる
マネをする女性ダンサー、最初は林檎かと思った。
プチトマトとナイフがこの物語の小道具として有効に機能している。
作者に聞いて見るとわかるだろうが、
この60分の物語は完璧なまでに計算され構成されたものだった。
その揺るぎのなさがダンスに集約され場面転換も含めて
強い印象に残るものばかり。
土の使い方や、白い花を口でそのままもぎ取り吐き出して行く。
少女の持つ可憐さと幼児性
そしてそこからくる惨酷性が混然一体となってダンスの表現として表わされた。
ナイフのモチーフは自分殺しの暗喩なのか?
ギリシア悲劇の時代から延々と続く存在の矛盾に対するテーゼなのか?
生きて行くとはそういうことなのか?
三人がクルクルと回るのが楽しそうで美しい。
BATIKという集団のレベルの高さをまた今回も再認識させられた。