ものすごいインパクトが2時間近くも続く。
この緊張感の持続はなんだろう?
松本じろの楽曲のよさもあるだろうが、
複数のダンサーたちが交互に踊りながら演じながら
そのダンスパフォーマンスは延々と続いていくように思われた。
まるで世界の終わりを迎える集団の狂騒のように。
東京芸術劇場からの移動などに時間がかかってしまい
開演に少し遅れてしまった。ごめんなさい。
最後尾のスタッフ席の横に案内される。
丁度、音響操作卓の横。椅子の上にクッションを用意してくれたのだが、
よく見えない。
結局2時間ほど、ほぼ立ち見状態で観ることになったが、
そんなことは全く関係ないと思わせてくれるほど
完成度の高い舞台を見せてもらった。
昨年の「花は流れて時は固まる」BATIK公演に引き続き、
黒田育世はF/Tで、素晴らしいパフォーマンスを完成させた。
前回のBATIK公演とは違い、
今回は男性のダンサーが二人登場しているのが特徴的。
BATIKのダンスで良く使われる真っ赤なパンツとブラジャーを
男性のダンサーも付けて登場する。
性の差など、どうでもいい、
男性的なるもの女性的なるものを包含した
一人の人間であると黒田育世は語っているようだ。
本作は黒田育世自身を投影したパフォーマンスだと本人も書いていた!
子供の頃の体験や原風景や思い出などがイメージの断片として
ダンスとしてその場に表出する。
今回はまた背の極端に低いダンサーも登場していいた。
まるで子供のようである。
彼女の起用は、この作品の持っている
ノスタルジックな少女性を強く表わそうとするモチーフだったのか?
この舞台では喜怒哀楽の表現が極端に描かれる。
まるで抽象化されたピカソやミロ、そしてムンクなどの絵画を思い出す。
抽象化とはデフォルメをするということでもあり
そのエッセンスだけが強調される。
例えば、口を大きく開けたままダンスをするなんていうことが
今までのダンス表現であっただろうか?
その表情のまま、複数のダンサーたちが同じ振付の踊りを行う。
まるでムンクの「叫び」の登場人物が何人も居て、
彼らが行進しているような。
一種の悪夢?とも言える。その悪夢が目の前で繰り広げられる。
漫画家で日野日出志という人がいるが、彼の描く漫画世界を思い出した。
或いは「エコエコアザラク」?
でも、最初に思い出したのは水木しげるの「妖怪図鑑」をはじめとした
おばけの漫画群だった。
こうした怪奇妖怪漫画の系譜と、
60年代のつげ義春のような漫画世界がいっしょくたになったような。
そういえば小学生の時、女子たちは少女漫画の怪奇漫画を
こぞって読んでいた。
思い出すにつれて彼女たちは大人だなあ!と同時に思った。
怪奇漫画と60年代の融合のイメージというと
黒田さんに怒られそうだが、そのような印象の独特の世界の断章が
いくつものシーンで様々なシークエンスとなって展開される。
映像でしか見たことがないのではっきりとは言えないが
寺山修司が行って来た見せもの小屋的なパフォーマンスの系譜を
引いたものと言うと印象が限定されてしまうだろうか?
それほどにインパクトの強いアバンギャルドな表現だった!
ということがいいたいだけなのであるが。
小道具の様々な使い方にアイデアがあり、
そういった細かいことの積み重ねも含めて奥深い表現になっていったんだと思う。
カーテンコールで男性ダンサーが感極まって涙するシーンが印象的だった。