京王線「笹塚」駅北口から10秒で「笹塚ファクトリー」。
「笹塚」は「本の雑誌」で連載されている目黒孝二の「笹塚日記」の、
あの「笹塚」です。
本の雑誌社がどこにあるか探索の余裕もなくギリギリで劇場に到着。
上演時間が2時間20分と聞いて以外に長いなと思ったが、見て納得。
この舞台は3部構成で出来ている。
「アスワン~フィリピン吸血鬼の誕生~」
・「それで裸になったつもり?」
・「フィリピンパブで幸せを」の三部である。
そして、「アスワン~フィリピン吸血鬼の誕生~」
「それで裸になったつもり?」に関しては日本人が演じるバージョンと
フィリピン人が演じるバージョンがそれぞれあるので、
これだけでも4本分を見ることになる。
「ベッドタイムストリーズ」と銘うっているだけあって、
生や性に関する話題がたくさん出てくる。
それはプレイボーイなどに載っている、艶笑話には終わらず、
生命の深みを描こうとしている。
フィリピンの劇作家も内田春菊の戯曲も初めてだったが、
なかなか上手く出来ていて、面白かった。
特に、5本目の内田春菊の脚本「フィリピンパブで幸せを」は、
自分の体験をベースに、実らない愛の形を、結ばれない愛の形だったものを、
キチンとした愛のカタチに結実させた。その手腕に脱帽。
愛のカタチはいろいろあっていいのだという
内田春菊の考えがストレートに出ていた。
そして、そこに至るまでの、
ドタバタのコメディもなかなか可笑しかった。
フィリピンパブで知り合ったフィリピン人と日本人男性の話。
片言の日本語を話す、フィリピン人たち、
日本語と、英語と、タガログ語が混じりあう舞台は、
今回のプログラムでの必然性を
最も良く表した作品になっていたように思う。
また、フィリピンの人たちは、主にキリスト教カソリックである。
このことは、全てのお話のベースになっていたように思う。
家族や子どもたちが一番大切。好きな人と結ばれ、その人の子どもを生む。
そんな簡単なことが、東京で暮らしているとわからなくなる。
演出の吉田智久は、それらのことを改めて僕たちに教えてくれた。
また、フィリピンの俳優と日本の俳優の身体の違いが、
同じ演目をバージョン違いで演じられることによって明瞭になり、
いろいろと考えさせられた。
もちろん、言葉の違いがあるので一概には言えないが、
日本バージョンだと「言葉=台詞」が立ってくる。
言葉が届くという意味では、タガログ語よりも効果的なのは自明なのだが、
その代わりに身体の特徴や、身体能力をおざなりにしてないかい?
ということも指摘されなければならない。
また、フィリピンバージョンでは、逆に身体を強く意識させてくれ、
発声の力強さにもそれは現れていた。
俳優の格やレベルの問題もあるので一概には言えないが、
今回の試みは、いろんな意味で非常に興味深いものだった。

この試みが、続けられる事を願います。