いまになって、11月上旬のレビューです。
今回の志らくは四席。独演会で四席とは大変な労力である。
あの集中力で2時間近くを一気に駆け抜けるのは大変なことである。
観客と一体化して奇妙でかつ、まことに自由な噺を聞くと何をやってもいいんだ!
という気分になる。
自由にやってもいいんだという勇気をもらえる。
志らくの落語にはそんなところがある!
そこに落語を見ると言うことの一つの効用が隠されている。
映画監督でありCMディレクターであるYさんにそこでばったりと会って終演終、
居酒屋でそんな話をした。
何故、落語を聞きにいくのか?そこでYさんは落語を聞く時の
「癒しの効用」があると説く。面白いな!と思った。
僕は見ることによって創作者の自由さに触れ勇気や元気をもらう。
それは自己を活性化するためのもの。
でもYさんは落語を聞くことによって全く違う世界に没入し癒されるという効用を説く。
このような話を受けて、
自分が演劇や映画などを見ている時の動機とはなんだろうと思った。
一緒に創作をするための人に出会うための行為?
がその中の一部に確実にあるような気がする。
唯一、自分の中での癒しは仕事関係ではない「読書」かな?
それも小説や詩歌などに限られる。
ノンフィクションのものや新書などの本は考え方を知ることや
仕事についての知識を得ることが主眼となっているので
これもまた元気をもらうためのものであるのかも知れない。
そういうわけで村上春樹などの小説を読んだりしている時が
唯一の「癒し」の時なのかも。
といっても1年に数冊読むか読まないのだが。
最近、もう一つの楽しみは週末に「アド街っく天国」をHDDに録画したものを見ること。
これ以外の録画されたものは
「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」「NHKスペシャル」「ETV特集」
「情熱大陸」「トップランナー」「プロフェッショナル」「爆問学問」などなど。
なので仕事とまったく関係がないというわけではない。
実は自分には「癒される」という効用があまり必要とされていないんじゃないか?
と思い至った。ただ生きていればいい!
生きると言うことが様々な活動をするということになり
それ以上でもそれ以下でもない。そして生きるからには懸命に生きよう!
ただそれだけなのかも知れない。
多くの人に出会って勇気や元気をもらい
その勇気や元気をまた別の人に分けていく。
その繰り返しのような。
「志らくのピン」をきっかけに、このようなことを考えさせてくれることに感謝。
この日の志らくの四席は、
「たぬき(狸三部作)」「紙入れ」「道具屋(与太郎二部作)」「金明竹」。