本作の「くにこ」とは、まさに向田邦子のこと。
昭和4年(1929年)東京の世田谷区若林に生まれた
向田家の長女の話。
邦子の下の頼りなく影の薄い長男と二人の年下の妹たち。
父親の仕事の関係でたくさんの転居をし、転校を繰り返していた。
向田邦子の脚本には、大いなる父親の存在は欠かせない。
その父親役が、角野卓造。
本作の角野卓造を見て、フランキー堺のことを思い出して仕方がなかった。
向田邦子の傑作ドラマ「あ・うん」に出てくるフランキー堺とダブる。
そして向田邦子は「あ・うん」のフランキー堺(製薬会社のサラリーマン)に
自らの父親像をダブらせていたのだろう。
その「くにこ」が昭和4年に生まれてから、
脚本家として独り立ちするまでを描いたもの。
小学生とは思えない三姉妹が小学生を演じる。
栗田桃子がその「くにこ」役である。
おかっぱでランドセルを背負った「くにこ」は、
子供のころから大人びていたということが何度も繰り返される。
そして、その大人びた雰囲気はどこから来るのだろうか?
とも思った。
ものを書くものに特有の観察をするということが
生来備わっていたのだろうか?
人間を観察するというのと子供らしいというのは確かに対極に位置する。
昭和のまだ平和だった頃から、当時の時代状況によって
変化せざるを得ない向田家が描かれる。
戦争によって変わりゆく生活。
鹿児島から高松を経由して東京に戻ってきた向田家は、
戦火の中何とか生きていた。
一番下の子を、ここにいてはいけないだろうからということで疎開に出す。
最初は意気揚々とごはんが食べられると言って出かけて行った三女が
、疎開生活に耐え切れなくなって戻って来た。
そのとき、厳粛で感情を外に出すことがほとんどない父親が、
おいおいと泣きながら三女に謝罪し抱きしめる。
ベーシックな家族の物語が中島敦彦の優れた戯曲によって
さらに滋味深いものになる。
もちろん、中島脚本なのでユーモアも忘れない。
自分の年になると父親は威厳を保ちながらも、実は、
不安でしかも家族を守っていかなけらばいけないという使命感を持たねばならないのだという
気持ちに共感する。
それを、自分とキャラが似ている角野卓造が演じているのでさらに。
髪の毛が薄くなってからのところは尚更。
戦争が終わり、くにこは女学校を卒業し、大学に入る。
家族がまた転勤で仙台にいくと言う時、
父親はくにこが入学した女学校を辞めさせ仙台に一緒に行こうといいだす。
が「くにこ」は父親を説得してしまう。
そして奇妙な石屋の貫太郎などが暮らす麻布の下町の親戚の下宿生活を経て、
会社勤めを始める。キャリアを積む女性の登場である。
そういう意味では、向田邦子は先進的な人だった。
最初は小さな出版社勤めをしており、
その後映画関係の出版社の編集の仕事に就く。
角野卓造はその頃浮気をする。娘の「くにこ」も不倫関係にある。
「くにこ」が必死で父親の浮気相手と向き合い、
父親と向き合う姿が合わせ鏡のように「くにこ」の不倫と重なって行く。
中島の戯曲は、人間が生きて行くと一筋縄ではいかない。
シンプルなだけではない。
ということがきちんと描かれている。
鵜山仁演出。