この舞台を見た人のほとんどの人が、見終わって優しい気持ちになれる。
そういう舞台。数年ぶりに待望の再演を見ることが出来た。感謝。
当日は、多くのキャンセル待ちの人が階段に座っていた。
心の中の深いところを揺さぶられる。
韓国朝鮮人の特質なのか?
それとも鄭義信の戯曲がそうなっているのか?
出演する登場人物たちは、感情表現が豊かでストレート、
感情を抑制するという言葉はない?
というくらいにその時の思いをぶつけあう。
ぶつかりあいながら傷つけあいながら、
ともに喜びあい励まし合う。
それがこの町の中で行われる。
焼肉ドラゴンの家族で一番の末っ子、時男が語る言葉が逆説的で、
しかし本音も出ており印象的だった。
「僕はこの町が嫌いでした。僕はこの町が嫌いでした。
僕はこの町に住む人が嫌いでした。」
に始まるセリフは本当に自分が生きて来た証となる
町のことを彼が受け入れられなく、発せられた言葉である。
本作にはまた、どうしようもない人たちが懸命に生き、
その中で認め合い、赦し合うという場面がいくつも出てくる。
済州島から渡って来て、伊丹空港の近くの朝鮮人部落に住みついた人々。
朝鮮戦争を経て、いまも朝鮮半島から移民してくるものも多い、
この町はそんな彼らを静かに受け入れる。
彼らは祖国を出て新たな場所で生き始める。
この舞台の要となるのが韓国人俳優のお父さんとお母さん。
お父さんは戦争で片手を失っている。
毎日、ホルモンや肉を仕入れては、仕込み、店に出す。
父は冷静にものごとを見、客観的な判断をする。
寡黙だが言うときはきちんと向き合い静かに語る。
心の芯に熱いものがあり、それは揺るがない。
ただ1回だけ感情を露わにしたシーンがあった。
土地収用にからむ件で、彼らの住んでいる国有地にある
家の立ち退きを迫りに来る女性の役人との確執である。
彼女は、ここは国有地だから早く明け渡してくれ!とやってくる。
父はこの土地は戦後すぐに佐藤さんから買ったという。
本当だろうなと思う。
とともにアボジは佐藤さんに騙されたんだろうなとも思う。
それから25年近くずーっと住み続けて来た街を
自らの意思でなく出て行かなければならないのは、本当に無念だろう。
そこでアボジの思いがあふれ出た。
日本にかりだされて行った戦争で片手を失い、時男を失い、
今度は土地収用で住む家を失う。
アボジはしばらくして、その全てを静かに受け入れようとする。
「運命」を受け入れることをじーっと見ているとその現実に涙があふれてきた。
オモニは「運命」でなく「宿命」という言葉をっ使った。
子を宿し次世代に伝えるというような意味があるのだろうか?
原語からの翻訳ではないので正確ではないがこの言葉の使い分けは
意識的なものだろう。
粟田麗と千葉哲也の関係のエピソードもいい。
マッコリを「ご返杯」「ご返杯」として延々と酌み交わす千葉と、
粟田に恋する韓国人男性とのやりとりはサイコーにスリリングだった。
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