櫻井さんを見に行きたいと思ったのは1通のメールだった。
彼は、2月の駅前劇場のブラジルの公演に俳優として出演していた、
その制作のTさんからメールをいただいた。
ブラジルの公演のすぐ後に自らが立ち上げた劇団の公演がある。
櫻井智也はしかし、ブラジルの公演に出演しているので
楽屋や劇場から携帯電話で演出の指示を出していたという。
これには、驚いた。
そこまで櫻井を追い込むエネルギーはいったいどこから来るのだろう?
そして櫻井がそこまでして創作しているものを見てみたいと単純に思った。
櫻井さんという銅像が舞台の真中にあり、そこに櫻井さんが鎮座する。
ハナ肇の銅像のような。(と言ってわかる人は明らかに昭和の人である。)
そこに櫻井さんは100分近く居る。
ここで、ある事件が起きる。
缶コーヒーの空き缶を銅像の台座に置きっぱなしにした人がいて、
それを見た若い男性が持っていた拳銃を自らの口に突っ込み、
拳銃を発射させ自殺した。
何故、このようなことが起こったのか?が逆回しのように過去に戻って描かれる。
そこから、その男の状況が見えてくる。
現在の格差社会に取り残されたものがどのような行動をするのか?
というシュミレーションのような舞台である。
そうした重いテーマを扱っているのだが、舞台はナンセンスタッチで
飄々と進んでいく。その飄々さが逆に怖さを加速させる。
何かをしたい表現したいと思った男が誰にも認められず、
家族のみがその支持者である。
家族と身内だけがほめる表現というのは一般性を持ちえるのか?
そのことを男は他者の言葉によって気づかされる。
実際にこのような事実があるのだろうな!
ととても共感した。
自意識が強く、自分が才能があると思いこんでいる人が、
ある現実の壁にぶつかって客観的な視点を持つ。
そのときに彼が絶望するのか、そこから這い上がって
一筋の希望が見える先ににじりよっていくのかで、
その後の彼の行動は変わってくるだろう。
Dead or Alive!
その心の経緯はある事実の列挙だけで多くは語られない。
観客はそれを読み解くことが必要となる。
小さな会話のやりとりなどからそれを見つけ出していかなければならない。
コミュニケーション不全に陥った場合、
いなくなれば大丈夫。逃げてしまえば大丈夫。
ここからいなくなれば、コミュニケーション不全の問題は
簡単に解決出来ると思っている若者は
実際に少なくないのだということが伝わってくる。
年間3万人以上の人々が自殺している現状は、
そんなところから来ているのだろうか?
自由を獲得出来ているいま、
自ら死ぬという自由を手に入れていると勘違いしている
若者たちがどれだけ増えているのか?
それに対して櫻井さんは大声で叫ばない。
ここから感じられるものの違和感を
どうしたら払しょくできるのか?ということを
もう一度新たな視点で考えなおそうとするきっかけを与えようとしている。
そういう意味ではこの舞台は極めて本質的で芸術的な行為であり、
それが小劇場というジャンルとして
ひとくくりでくくられてしまうことの危険性も感じる。
そんな時に、批評言語がそれを助けることが出来るんじゃないかな?とも思う。
底に秘めた大きいものが小さな劇場で感じられる。
11月の王子小劇場の次回公演も楽しみである。
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