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3月11日(金曜日)午後2時46分。渋谷の制作会社で 企画打合せをしていた。と、あ、地震だとみんなが言い出し その揺れがだんだんと大きくなった。揺れが長く長く続き ビルの五階だったので、誰か非常階段の扉を開けて!と叫び出す。 外に避難しようとしたのだが揺れが酷く、電柱がいままでみたことも ないように揺れて、ああ、電線が切れるんじゃないかな?と思った。 救急車両がサイレンを鳴らしだし、街は騒然となった。 ビルに居た人が外へ出てきて駐車場などの広い場所に集まっていた。 しばらくすると揺れが落ち着いてきたので 渋谷の制作会社の会議室に戻る。 それからは企画コンテが壁に貼られたまま みんなでTVにくぎ付けになる。東北の三陸沖で地震があったとのこと。 津波に注意してくださいとあった。 しかし、その報道があったときには多くの場所で 津波が押し寄せており大変な事態になっていたことを後で知った。 地震から9分で津波がやってきたら何も出来ないだろう。 1時間ほどして近くのコンビニに行くと多くのお客さんが買い出しに来ており 何も買うことが出来ないまま戻ってきた。 懐中電灯を買おうとしたのだが、携帯の充電器や電池なども 全て売り切れていた。 制作会社の社長とビックカメラに買い出しに行こうとしたら 街の電気屋さんに3つだけ在庫があった。 僕は一人でビックカメラに買いに行こうとしたのだが 丁度、会社員の帰宅の時間と重なり、バス停は大混雑だった。 午後7時くらいのことである。 この時間、都営バスだけ運行をしているとの報道がされていた。 電車は全て停止点検中となっていた。 ビックカメラは混乱を恐れたのか店員が店舗前に立っており 入場を中止しているとのことだった。 仕方がないので渋谷の制作会社に戻る。 午後7時半過ぎに、グループ会社のプランナーのKさんと一緒に 麻布十番にある自分の会社に戻ることにする。 バスも考えたのだが、道路がものすごい渋滞で バスに乗るのも大渋滞ということで、歩いて会社へ向かう。 舗道には徒歩で帰路に向かう人がたくさんいた すれ違うのが大変。 西麻布の交差点にこんなに人が溢れている光景を初めて見た。 六本木高校の前を通ると帰宅困難者の受け入れの準備が進んでいた。 東京都の災害危機管理のスピードの速さに驚いた。 ヴォランティアの人々だろうか?が学校の前で 帰れない人を受け入れる準備をしていた。 こんなに道をたくさん歩いているのが普通のことに思えてくる。 ときどきヘルメットをかぶって帰宅している人を見た。 会社から支給されたのだろうか、 会社の名前や企業ロゴが入っているものがあった。 僕も、渋谷の制作会社のA社長から黄色いヘルメットを貸して頂いた。 会社に帰るとたくさんの社員がいた。 会社で、 買い出しをしてくれていた様子で食べものや 飲み物が会議室に置かれていた。 役員が会社を回って 帰れない人は、無理に帰らず会社に泊まってくださいと みんなに告げて回っていた。 携帯電話はまったく通じなかった。 音声通話は不可能だとあきらめた。 携帯メールは時々通じるので少しタイムラグがあるが 貴重な通信手段だった。 会社のデスクからも安否を確認するメールが携帯に来た。 そして、 僕たちのTV以外の情報源がツイッターだった。 ツイッターで交通情報が開示され、その開示が少し遅れて テレビで報道されるということが何度も起きた。 東京都副知事の猪瀬尚樹のつぶやきが都営地下鉄の 再開を告げていた。 そのツイットをリツイートしてくれる人がいて一気に情報が 拡がった。僕も重要と思われる情報のみをリツイートした。 そして 自分にこれから何が出来るのだろうと考えた。 働いて、そのお金で義捐金に募金することが一番大切なことなんじゃないかと思った。 そして、節電をしなければと思った。 23時過ぎに都営地下鉄や南北線が動き出したと聞き 会社から自宅に向かってみることにした。 大江戸線、麻布十番駅は改札で入場制限が行われていた。 仕方がないのでそのことを「ツイット」し、南北線へ移動した。 南北線は溜池山王駅で大混雑となった。 飯田橋駅で都営新宿線に乗り換える。 ここも新宿方面の乗客は改札の外まで長い列が出来ていた。 長い長い時間がかかって飯田橋駅から移動した。 篠崎駅で下車。 あの多くの乗客は本八幡から先はどのように移動するつもりなのだろうか? 篠崎駅前の交番で警官に方向を聞く、妙典方面はどっちですか? 水門は通れるか? ベテランの警官がきびきびと答えてくれた。 プロフェッショナリズムを感じた。 とともに緊急時における目的を同一とする一体感みたいなものを感じた。 この感覚はツイッターのTLを見ているとたくさんの言葉があり そこからも同じような感覚を得た。 僕たちの国はまだまだ捨てたものではない!こういう非常時にしかわからない 貴重なものが確かにこの国にある。 そして、 このことでこの国が少し変わって行くのではないかと感じた。 もともと変わろうとしていたそのスピードが速くなるということかもしれない。 篠崎から堤防沿いに帰る帰宅者がたくさんいた。 そのころ、ようやく東西線の運転が再開したことを知った。 水門を通って江戸川区から市川市に抜けた。 行徳橋や新行徳橋を渡る人がたくさんいた。 南からも多くの人がやってきた。 彼らは東西線「妙典」まで移動して、そこから徒歩で江戸川を渡り 千葉方面へ向かっていた。 妙典駅周辺は埋め立て地なので液状化を心配していた。 しかし液状化は起きておらず地面の隆起なども見られなかった。 あとで知ったのだが京葉線あたりから海にかけては酷い液状化だったらしい。 週末にそのことを知った。浦安ではいまだに水のこない場所や、 ガスの通じていない場所がいくつもあると聞いた。 午前2時ごろ妙典給水所の門が空いておりたくさんの給水車が集まっており 緊急用の上水道をタンクに詰める作業をしていた。 午前2時過ぎに帰宅した。 玄関を開けると下駄箱が崩壊していた。 隣の部屋の本棚がヒトサオ倒れていた。 どちらも通販で買った安価なものだった。 リビングはTVがおかれたエレクターが大きく移動していたが それ以外は何の落下もなかった。 頂いた絵の額が1枚落下破損。 トイレにかけていた「ちびまる子ちゃん」の原画の額が落下破損していた。 日曜日からの都内での撮影は延期となった。 月曜日以降には、さらに今週中に撮影のものが延期となった。 土日は本棚の片づけと下駄箱の復旧作業をした。 この際だからということもありたくさんの本と雑誌 そして靴やスニーカーを処分した。
by haruharuyama
| 2011-03-15 09:19
| 時事放談
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Comments(2)
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by
PB
at 2011-03-15 11:26
x
大変でしたね。僕もその時間帯、渋谷にいました。お客さんとの打合せは中断し、牛丼屋に行った後、ちかくのカフェで時間をつぶしました。電車が、点検が済んでそのうち動き出すと思ったのですが甘かったですね。19時過ぎにあきらめて、自宅まで2時間弱歩いて帰りました。
0
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by
haruharuyama at 2011-03-17 08:28
PBさま。無事で良かったです。まだまだ今後、余談を許しませんが
節電しつつ、復興に向けて何が出来るかを考えていきましょう。
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