1974年12月18日初版発行(昭和49年)。
著者は1932年生まれの在日2世である。
本書は高史明のおいたちを描いたもの。
40歳を過ぎて子供のころを振り返って書いている。
分別のわかる年になってはじめて書けるようになることがある。
それを分かりやすい文章ですなおに綴っている。
「生きることの意味」
という題名のことについてわかりやすく語っている。
生きることの意味とは、それぞれの人が、それぞれ自分自身から出発して、
世界と自分自身をより深く理解していきながら自分自身で発見していくもの(中略)
一人ぼっちの自分をのりこえていく
人間のさまざまな生き方をあらわしているのだと思います。
と
その過程を、高史明は在日朝鮮人という立場として生きた記憶として記す。
「血と骨」という簗石日の小説を思い出すこともしばしばあった。
高史明の一家は、両親が分かれてしまい、
兄と自分そして父親の三人で暮らしていくことになる。
父親は働いて働いて、そして家に帰って食事のしたくをし、
子供を育てながら働く。
著者が小さいときには、父親は海沿いの石炭の沖仲仕(おきなかし)の
現場に子供を連れてきて働いたそうである。
なぜ、彼ら朝鮮人は日本に連れてこられたのか?
1910年の日韓併合後に、
日本への労働力としてということが書かれてある。
彼らの自由意思で働きに来るのならいいのだが…。
そうして、日本にはいくつかの朝鮮人部落ができ、
そこで在日朝鮮人として働くのである。
当然、生活をしていると子供が生まれ、育つ。
子供たちは、日本で育ち日本語を覚え、学校では日本語で教育をうけることになる。
高史明も、その段階で朝鮮文化で育った父親の世代との葛藤が生まれ、
それが親子の喧嘩になる。
喧嘩はストレートで激しいが、ある熱さがある。
そのストレートに感情をぶつけあうということが
最近は少なくなってきているな!とも思う。
父親も「死ぬ!」と言い。自分も「死ぬ!」と言いだす。
彼らはそのときは真剣なのだ。
家族という小さいコミュニティから
学校と言う広い世界へ向かっていくと、
そこでは様々な価値観がぶつかりあい、さらに大きな葛藤が生まれる。
いわれなき差別意識を経験することになる。
その圧倒的なさみしさに高史明は向き合い、
外部を暴力で抑圧しようとする。
しかし暴力で抑圧しようとすればするほど、彼の孤独感は増す。
その彼に、光を当ててくれた先生との出会いが大きかった。
小学校5年生の担任だった阪井石三先生との出会いである。
最初からいきなり、ガーンとした出会いがあった。
出席を取る際に、阪井先生は彼の名前を朝鮮名で呼んだ!
それが自分の本当の名前である。木下ではない!
なぜ自分の名前がわからんのか!わかるまで立ってろ!
という劇的な出会いから高史明と阪井先生の交流が始まる。
阪井先生は人として彼に向き合い続けた。
正論とも言える言葉を投げ続けながら彼が自分でそれに気付き反省し
、素直に言葉として言えるまで。
阪井先生はその勇気をたたえた!
子供の頃の出会いが、いかに重要かということを知る。
教師はそれに向かって全力で向き合う!
最後に一か所だけ引用する。
安らぎとは、苦しみを生きぬいていく人間が、
苦しみを乗り越えていくところにやどるものです。
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