井上ひさしが亡くなってから本書は出版された。
いろいろな場所での公演録や雑文をまとめたもの。
タイトルの「この人から受け継ぐもの」とあるように
様々な先人のことについて井上ひさしが研究調査した成果が
ここに描かれている。
井上ひさしは評伝劇の名人である。
彼は多くの劇作の中で、過去の偉人たちの評伝を描く。
偉人たちも一人の人間であり大変なことを経験し
苦悩の中から生きていく光明を見出していく。
井上ひさしはこの「人が生きていく」ということを
手を変え品を変え書きつづけた人である。
ていうか、芸術家はみんなそうなのではないだろうか?
そして、そのことを考え続けていると言う意味では、
哲学者や科学者そして宗教家なども同じ。
何故、わたしたちはここにいるのか?
わたしたちは何か?
ということを考え続けることが人類に課せられた
使命の一つなのではないだろうか?
「ヒト」以外でこのようなことを考えている動物はいるのだろうか?
本書で取り上げられている人々を列挙する。
吉野作造、宮澤賢治、丸山眞男、アントン・チェーホフ、
ジョン・ウェルズ、アリストテレス、ルイ16世、スクリープ。
特に興味深かったのは宮沢賢治のこと。
彼は極度の躁鬱病だったということを本書を読んで初めて知った。
鬱状態になると、自らの環境を変えることによって
鬱状態から抜け出すということがたびたびあったらしい。
いまでこそ「雨ニモマケズ」などで
聖人君子のようなヒトと思われているが
そこに至るまでの紆余曲折の話を聞き、
ヒトはみな同じなんだと思った。
膨大な資料を読みこんで戯曲を執筆する
井上ひさしらしい対象の深い理解の中から生まれて来た言葉は重くて大きい。
こうした講演を生前に聞いて見たかったと悔しくなるが、
こうして出版がいまも新たに行われていることに感謝。
印象的だったところを引用する。
日本人が戦後「日本国憲法」を素直に受け入れられたのは
吉野作造たちが行った「大正デモクラシー」の意識が残っていたからではないか?と。
昭和10年代以降になると軍部が跋扈してきて、その意識も薄れるのだが、
戦後の昭和20年くらいまでは
かろうじてその意識が残っていた。
また宮沢賢治のところでは、
こういうふうに躁と鬱がいっしょになっている状態が出てくるというのは
天才の証拠です。やはり本気で自分のなかにあるものを
外へ取りだそうとする人は、ものすごく仕事ができる時期と、
充電しながらさらに次の活動を待つ時期があるというのはむしろ自然なことです。
いつもひとつのところへ所属して、いい学校へ入って、いい会社へ入って、
自分の意思をそのひと色だけに塗りつぶして、たまにしかない休みには
ドドドっとリゾートに遊びに行って疲れて帰ってくるという生活が、
じつは楽しくも豊かでもないということは、もうみんな知っていることです。
休みを多くすると、ゴロ寝になっちゃっていけないという人もいますが、
ゴロ寝をし尽くしたところからまた新しいことがはじまるはずです。
演劇のことを最後に、
演劇という装置は人を集めて時間のユートピアをつくりだし、
その宇宙で一回だけの集まりが毎晩できてはこわれていくものだと思うのです。
そのできてはこわれていくというところに、私は非常に生きがいを燃やしています。
それは、制度や国家のように、人間を圧しつぶすものに変質してしまうことはありません。
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