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夏になるとスタジオジブリの新作を毎年のように見ることが出来る。 その時代に生きていて良かったなと思う。 今年も、夏のささやかな楽しみをもらった。 宮崎吾朗監督の第2作である。1作目の「ゲド戦記」は様々ないきさつがあり、 宮崎吾朗が監督することになったのだが、 なかなかに難しい結果となってしまった。 当然、今回の第2段に関しても 心配する意見もあったことだろう。 しかし、宮崎吾朗はそのジンクスを見事に打ち破って 上質で美しい青春映画を作り上げた。 原作は1980年代の少女漫画だそうである。 「なかよし」に連載されていたと書かれていた。 当時、妹が少女漫画を買っており「なかよし」も読んでいた記憶がある。 この原作を本映画の企画にするにあたって 公式HPで宮崎駿が書いている文章がとても良かった。 冒頭の一部を引用する。 1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である (その意味で「耳をすませば」に似ている)。 高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、 明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、 学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。 少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。 結果的に失敗作に終った最大の理由は、 少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、 心象風景の描写に終始するからである。 少女マンガは映画になり得るか。 その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。 「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。 学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、 いかにも時代おくれの感が強かったからだ。 今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。 ちょっと昔の物語として作ることができる。 宮崎駿がこの原作を当時読んでいたとしたら、 風の谷のナウシカ(1984年)を作る少し前、 そして「未来少年コナン」の仕事を終えた後くらいだったのではないか? 彼の文章を読んでいると物を作るクリエイターとしての 批評眼が随所に出てきていることがわかる。 その批評性とは客観的な視点を持ちえるのかということ。 優れたクリエイターは、 個人的なこだわりの世界への視点とともに 客観的にものごとを捉える視点を持っている。 本作では宮崎吾朗がその客観性を持ちえたことによって この映画作りがうまくいったのかもしれない。 少女漫画を読んでキュンキュンとときめいた経験は誰にでもあるだろう。 その感覚を1963年(昭和38年)の横浜を舞台に救い取る。 その時に重要なのはディテイルとなる。 あの頃の生活スタイルはどうだったのか? おくどさんはどのような状態だったのか? そういったことを日常生活の風景を丁寧に描きながら映画世界に構築していった。 たとえば朝の食事の準備のシーンをみてもそうである。 海は高校二年生、父を朝鮮戦争でなくし母は医学の勉強で米国に留学中。 海がおさんどんを任されている。 米びつから升に米を入れ桶で洗う。 研いだ米を羽釜の中に入れてガスコンロに火を点ける。 コックをひねってマッチで点火する方式のガスコンロ。 キャベツの千切りが作られていく。 木のまな板の上を菜切り包丁がキャベツに対して 垂直にトントンと入っていく。 フライパンでハムエッグが作られていく。 アルマイトの大きな鍋におみおつけの湯気が立つ。 弟にはハムが3枚と多めに盛られる。 そしておばあちゃん、海、妹の空(高校1年)、下宿人のアーティストなどが 食卓に集まり一緒に食事をする。 その何気ない風景がとても幸福な風景に見える。 時代背景や場所の設定、建物の設定など どれも何気ないが素敵なセンスに満ちあふれている。 ふと、大林宣彦監督の映画を思いだす。 尾道三部作をはじめとする大林監督の映画にも似た ノスタルジーと純愛。 これを奇をてらわずにストレートに描く。 さらに、この時代にいただろう素敵な大人たちが出てくる。 彼らはみな、戦争体験者であり、 その経験をしたことが素敵な大人たりえた 一つの条件だったのかもしれないな!とも思った。 生死と紙一重に生きて来た経験が、 財産などは、実は一瞬のまぼろしでしかないと思うような 気持ちになるのかも知れない。 そこから本当に大切なものが見えてくるのだろう。 理事長に会いに行く場面がその中でも秀逸。 理事長みたいな大人になりたいと思った。 香川照之の声もとても良かった。 長澤まさみの海の声が、 最初、長澤まさみなの?と意外だったのだが 実は長澤まさみはこういう声なのかな?とも思った。 無理に高音部などを強調しない喋り方が 淡々とまっすぐに生きて行く海のキャラクターを深く広いものにした。 風間俊役の岡田准一は上手い。そして役にとてもあっていた。 お母さん役の竹下景子もいい。 アフレコの演出をしているのは東北新社の木村絵里子である。 今回の音楽監督は武部聡志。 久石譲じゃないんだ!と思った。 久石の音楽が抒情的だとすれば 武部の音楽は快活でポップ。 これは好みなのでなんとも言えないが 1960‐70年代の日活の青春映画を参考にしたと書かれてあったが、 そういった気分の音楽なんだろうな?と聞いていて思った。 見て絶対に損はない秀作です。 「ゲド戦記」とは違うので安心して見ることが出来ます。 僕が高校生で彼女がいれば絶対に見に行く。 初デートにぴったりの映画じゃないか!と思った。 PS: 映画を見た後、NHKで放送された 宮崎親子の「コクリコ坂」を巡る物語を見た。 親子としての葛藤と クリエイター同士の葛藤が同時に描かれる。 親として宮崎駿はどんな思いで接していこうとしたのだろう? クリエイターとしてアニメーション作家として 息子、吾朗が理解できていない部分が、見えすぎてしまうのだろう。 1枚の絵がそのヒントを与えてくれることがあるのだ!と、 このドキュメントを見て思った。 絵を通じてコミュニケ―ションをしていく親子の姿なんて なかなか見られないぞ!と思った。 これから圧倒的な才能の父親にどれだけ向かっていけるのか? ということが、同じレベルで問われてくる。 そういった結果が出せた映画となった。 これからが、宮崎吾朗のアニメーション作家としてのスタートなんだろう。
by haruharuyama
| 2011-08-13 11:35
| 映画
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