本書の裏書きにこうあった。
「本書の著者印税はすべて東北地方太平洋沖地震で
被災された皆様への義捐金として寄付されます。」
本書内で山折は3・11の地震を、
「東北地方太平洋沖地震」という名前にこだわった。
太平洋という言葉があることによって、
世界の人々へつながっているということをきちんと伝えたい、と。
実際にハワイ島などでも、あの時の津波で
人々は避難をし、いくつかのホテルなどが被害にあったらしい。
山折哲雄の文章に触れたのは最近のことである。
彼の著書「わたしが死について語るなら (未来のおとなへ語る)」の
ことを書いたら、赤坂の広告会社のYさんからメールが来て、
彼の書いた別の文章を送っていただいたりした。
調子に乗って、他の山折さんのものも読んでみようと
図書館で検索をかけ一番最近、出版されたものを予約した。
震災後に「生きる」ということを真剣に考えるようになった。
そのタイミングで本書のような本が多数出版されている。
生きることを考えるということは同時に「死」について考えることでもある。
その考察から、今を大切にしようと思い
「より良く生きて行こう」という気持ちが芽生えてくる。
山折さんが元気な内に実際の本人を見てみたいものである。
現在80歳。NHKの100年インタビューの制作者は
すぐにでも取材のアポイントメントを取るべきである。
表紙のこの動物は羊だろう。
羊はキリスト教ではもっともキリスト的な動物となり
生贄に捧げられるものでもある。
聖書を読むとキリストの行動が羊と対比されると書かれてある。
犠牲になるという考え方がその根本にあるのだろうか?
対比的に仏教では、その思想と釈迦の行動が
牛と密接な関係を持っているそうである。
インドで牛を大切にするというのはそういう意味があるから。
釈迦の時代の人生観の代表的な考え方の
四住期について語るくだりが興味深かった。
人間はこの四つの人生段階を経て最期を迎えるのが理想的であると。
1番目は「学生期」(師について勉強する修行の時期)、
2番目は妻と一緒になり家庭をつくり子をつくり育て
家のことと社会のことを行う時期。
これを「家長期」というらしい。
そして、面白いのが第3期の「林住期」という考え方。
家族などがある程度安定した段階で、
家を出て自由なことをやるようになる。
たった一人で自分の好きなことを自由にやる時期がある、
という生き方を理想とする考え方は、
今の長寿化したわたしたちにもつながる。
当時は医療などの未発達などもあり、
こうした時期を送れる人は本当に少数だったのだろう。
がいまやその理想は普通のことになっているのかも知れない。
そのときにどのような「林住期」を送るのかが問われてくる。
そして最後に来るのが4番目の遊行期だそうである。
これは林住期のなかの
世俗的な要素を切り捨て家族を捨て聖者となっていくという考え方。
この遊行期という考え方は西洋にもギリシアにも中国にも
日本にもあった考え方だったのだが、
その前の林住期を説いたのがインドだけである、
ということを山折さんは重視する。
そして、同時にこれは、今の時代につながる考え方だと感じた。
インドの話ではマハトマ・ガンジーやマザー・テレサのエピソードなども語られる。
そして聖者的なる人は悠然と構えて世界に向かっているというイメージがあるが、
実はエナジェティックに多くのことをこなしている活動家
という方が実際のイメージに近いのではないか?と語っていた。
ガンジーの非暴力不服従の言葉で印象的な個所があった。
「圧倒的な武力にたいしては素手で立ち向かう。」
この言葉を見た時にガンジーの有名な写真を思い出しながらなぜか
涙が流れた。
弱くてもギリギリの矜持を持つことによって出てくる勇気
みたいなものが感じられたのだろう。