前作「奇ツ怪 其の壱」は、全回満員御礼。
通路と階段の立ち見席を出しても追いつかず
泣く泣く帰っていった人も出るほどの人気公演となった。
小泉八雲の怪談話をテーマに作られたものだった。
前回のシアタートラム公演で、集客が見込めると判断したのだろう、
今回は一回り以上もキャパの大きな世田谷パブリックシアターでの公演となった。
大きな劇場で大人数の客席。
そこに仲村トオルや小松和重などの人気者が名を連ねている。
彼らのファンが多数来ていることが客席の反応で良くわかった。
前川知大が描くシャープな世界が健在の舞台。
今年ならではの脚本とともに強く記憶に残る舞台となっていくだろう。
これから、2週間で成熟していって欲しい。
能は幽玄の世界と言われる。
「幽玄」とは?日本の芸能・美学に関して基底となるものであり、
能を初めとし、茶道や禅・俳諧などに強い影響を与えたもの。
「諸行無常」というような言葉もあるが、
この世の中はいつどうなるのかわからない、ということがベースになる。
「平家物語」で琵琶法師が語り、鴨長明は「方丈記」で語っている。
日本は地震や津波の災害が過去からあり、火山の噴火や台風も多い。
そんな環境の国だから、自然の猛威に対して
ある無常観とともに生きていかなければならない、
ということを学習したのだろう。
それが日本人の死生観も含めての根底に流れている。
能はその考え方を体現した芸能であるとも言われている。
夢幻能というものは「死者」(シテ)がこの世にやってきて
彼らの観点からものを見る。
そして、そこで「生者」(ワキ)と出会い「生者」が彼らのものの見方を代弁する。
この世に死者の魂はうようよと漂っており、
彼らの魂が鎮まるまで現世世界にいる、
という考え方である。
それくらい能楽が生まれた当初は「死」というものが身近にあったと考えられている。
しかし、今回の3・11でもその「死」が瞬間的に起こりうるもので
ごくごく身近にあるということを再認識させられた。
前川知大はその前提で今回の物語を紡いでいった。
舞台は福島を思わせる村。
そこは、神社の境内だった場所である。
この村にある日突然、大地震が起き地下から硫化水素ガスが噴き出し
多くの住民を奪った。
生き残った住人の多くがこの村を去って行った。
現在は村全体が廃墟となっている。
数年前のことだった。
神社の境内に仲村トオルが住んでいる。
そこに村の再開発をする業者と学者がやってくる。
現生の彼らの前後をまっ白いお面をつけた亡霊たちがうろうろと動いている。
時間がカットバックして数年前の頃を並行して描きながら、現
生の物語も進行していく。
仲村トオルの話を聞きながら「死者」の魂は鎮められていくのだろう。
「鎮魂」をテーマとした演劇が出来あがる。
印象的だったのが数年前、みんなこの村で生き生きと生きている日常が活写されるところ。
金子岳憲が、子供が出来ちゃったので結婚することになり
東京から美しい女性(内田慈)を連れてこの村の人々に挨拶にやってくる。
彼らは祭りの準備をしている。
神社の仲村の家に集まって様々な作業を共同でやっている
たわいもない会話がその瞬間の幸せを切り取っていく。
しかし災害は突然起きる。
その無常観を前川知大はシャープに描く。
シャープだからこそ、
何気ない日常がより愛おしいものに感じられる。
前川の「鎮魂」の言葉は観客に届いたか?
9月1日まで!
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