「シベリア少女鉄道」に「スピリッツ」という名前が付いてから
3回目の公演。第3段はアイドルの大川藍(アイドリング!)を起用した。
シベ少に何度も出ているこちらも可愛らしい少女?の
篠塚茜と染谷景子が脇をくすぐる。固めるのではない。
大きな演技で観客をくすぐろうとするのである。
作・演出の土屋亮一はいつも壮大な大ドンデン返しのある
ラストを見せるために、その前段階をぐぐぐぐぐっとひっぱる。
そしてドンデン返しの後は、何かの大げさなパロディにしていくの
を常としている。
一時は「アルプスの少女ハイジ」であったり
「宇多田ヒカル」のPVであったり。
今回もその構造は変わらない。
土屋は、そうしたことを2000年から12年間やり続けている。
その継続力に拍手!
そして、今回、第4回演劇村フェスティバルに参加した。
分かる人がわかればいい、というはっきりとしたスタンスは
今回の演劇にも現れる。
カーテンコールを排除したいきなりのエンディングが印象に残る。
観客は一体この2時間弱何を見たのだろうか?
というような気分になって劇場から放り出される。
そのコンセプトはいい。
いいのだが、そのコンセプトを突き詰めると
ああいう出口の表現になるのか?
しかし、これは世代の差なのかもしれない。
パロディにされた有名なコミックの有名な台詞が
身体に沁み込んでいる人はとても面白かったみたいである。
証拠に僕の横に座っていた30代くらいと思われる
男性2名は大笑いしていた。
パロディとは、短歌などの世界で言う、本歌取りみたいなところがある。
元になるものをきちんと知っていないと、
それをパロディと認識して笑うことが出来ない。
ということは、当然だが、
その元になるものが誰でも知っているものでなければならない。
その時に、今の時代みんなの世代が知っているものが本当に少なくなってきている
というのも事実。
「家政婦のミタ」は半数の日本人が知っているかも知れない。
では「北の国から」はどうだろう?若い世代はわからないかも?
これは「とんねるず」が以前、番組の中でパロディにし
レギュラーコントをやっていた。
物真似やコントの世界を演劇の世界に持ち込むことはとても面白い試みである。
それをうまく機能させるためには、いったいどのようにすればいいのか?
を考えることが、シベリア少女鉄道スピリッツに
未来への「光を与えてくれる」希望になるのかも知れないなあと
思ったりもした。少しの時間だけですが。
「もっと、光を!」である。
PS:今回の舞台では俳優の小村裕次郎の顔立ちと身体が絶対に必要だったんだ!
PS2:と、同時に、この演劇は現在の原発問題などのエネルギー問題などが
暗に含まれているのだろうか?
闇の世界と光に満ちた世界との対比が現在と未来を暗示しているのか?
いや、それは、妄想か?考えすぎか?
そんなメッセージなどなかったのか?
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