夜、六本木ヒルズのチケット売り場はたくさんの人が並んでいた。
52階に上がる。コインロッカーに荷物を預けようとしたら
コインロッカーはいっぱいになっていた。
展示会場に入ってその理由がわかった。
ぎっしりと、芋の子を洗う?ような光景が延々と続いていた。
ものすごい人出である。
上野で見たフェルメールの時のような混雑度!
総数400数十点が所せましと展示されている。
人が多すぎて鑑賞の流れが時々留まるが
我慢強く待っていればきちんと見ることが出来た。
歌川國芳は江戸時代の最晩年に創作活動をしていた。
その65年の人生の仕事が年代を追いつつもテーマに分かれて展示されている。
明治維新の10年くらい前に歌川國芳は亡くなっている。
浮世絵の技術が最高度に達したころの作品である。
日本画の伊藤若沖などと比較することは出来ないが、
彼の創作スタイルと通じるような洒脱でデフォルメされた
オリジナリティのある独自の世界がそこに拡がるのだった。
絵1枚だけで、その世界の大部分を語ることが出来る。
そんな絵画を描き続けて来た職人さんでもある。
戦記物などの「ものがたり」の1シーンが描かれる。
忠臣蔵11段目両国橋のたもとに四十七士が集まっている絵などが印象的。
大きなガマ(カエル)と対峙する大男。
などなどたくさんの物語から描かれた膨大な量の浮世絵、
さらには絵本となって江戸中に流通していったのだろう。
木版も展示されておりその精巧な版画の技術に驚く。
役者絵や美人画などが描かれたコーナーが続く。
歌舞伎役者の見栄を切ったようすなどがデフォルメして描かれ、
その構図の力強さが伝わってくる。
江戸の末期に役者や美人画が規制されると、
それらの姿を猫や、金魚、カエルなどに代えて
新たな風刺画を描き始める。
例えば猫の旦那が吉原の大通りを歩いている。
格子の奥には遊女と思われる美しい着物を着た猫が座っている。
明らかに吉原の風景とわかるものを当局の規制を逃れて猫にする。
その想像力の飛躍がいい。
日本の漫画文化はこうしたところから生まれたんだと実感した。
戦前の田川水泡の「のらくろ」的な絵が
すでに歌川國芳の手によって描かれている。
また、工夫された絵がたくさん描かれており、
人がたくさん集まって人の顔を作ったりする浮世絵があったりする。
双六の絵なども描いており
歌川國芳は江戸時代の晩年を絵画の職人として描き続けた人だった。
手塚治虫などを初めとした漫画家の世界にも通じる何かがある。
(手塚さんも漫画を描き続けた60年だった。)