深井順子プロデュース。深井の舞台を見るのはこれが二度目。
脚本・演出・美術・作詞・作曲・音楽は、
糸井幸之介。彼は、一種の天才である。
池袋芸術劇場で見てあまりの自由さにぶっとんだことを思い出す。
今回も自由でぶっとんでいることに変わりはない。
大きな耳のオブジェが上手にあり洞窟のようになっている。
下手にはベッドがあり。ベッドの下は開口部があって
奈落からベッドに上がってこられるようになっている。(シーツの下に穴が開いている)
まるでシュールルレアリズムのような作り。
増村保蔵監督の映画「盲獣」のセットを思い出す。
1960年代あたりにシュールな表現が
実験的に行われていたことがある。
柴幸男演出「あゆみ」を思い出した。
「あゆみ」はある女性の一生を描く。
本作は、ある男の半生の物語。一生ではなく生まれてから現在まで。
男は音楽を作り続ける。
それらの音楽がこの男のバイオグラフィとなる。
音楽が劇中で効果的に流される。
羽衣はライブパフォーマンスもやっているだけあって音の構成がとても巧み。
いつまでも、それを聞いていたいという気持ちになる。
BGMの音楽とギターの生演奏、ブルースハープや
人声のボイスパフォーマンスやコーラス、うた。
もちろんその中には大声で喋る台詞なども含まれる。
台詞と歌が交互に繰り返されるシーンが進んでいく。
同じフレーズの音楽が何度も繰り返される。
人生なんてそんな反復の連続なのかもしれない。
それを教えてくれたのは、新藤兼人監督の「裸の島」だった。
その映画についての映画評を読んで
島で毎日繰り返される農耕作業のシーンを取り上げ
人生は反復の連続である、という言葉が妙に自分の中に残っている。
人生は一度きりであるから悔いのない人生を送るようにしよう!
という言葉と人生は反復の連続であり
その反復の中に幸せはあるという言葉の両方が交互に自分自身を問いかける。
赤ん坊として母の乳房から母乳を飲み大きくなって思春期を迎える、
思春期になり初体験を経験し大人になって結婚し不倫しさらに大人になる。
そのことを象徴的に音楽に合わせて語っていく。
「静かな演劇」の登竜門とも言える「こまばアゴラ劇場」で
こうしたやかましいにぎやかな演劇が行われる多様性が嬉しい。
若い人に特有の突き抜けた明るさみたいな表現が
この劇団にもある、ということ。
それはまるで「えじゃないか」が流行した時の感覚が
この時代にもあるのかも知れない。
未来がそして希望が見えにくくなった時代だからこそ、
きちんと希望を持って未来を構築していくことこそが
重要であると思われる。
それを体感するのに本作は一つの優れた事例となるだろう。
最も印象的だったのは高校時代。音楽を作る男の友人である
金子岳憲が初体験を経験するところ。
甘酸っぱくて笑ってしまうような青春の性の世界が描かれる。
若い時ってああだったな、とみんなが思い出し客席が沸いた!
深井順子のこの舞台の魅力は実際に行って
その音を聞くことから始まる。それを是非体験してください!19日まで!